Stray Disonare〜冷徹なる幻想曲〜
3
宿にイルを置いてきたシグは、もう一度マーケット街を訪れていた。
すでに辺りは暗くなっているが、マーケット街はまだまだにぎわっている。
その中をシグは迷うことなく進んでいく。
途中でメインストリートを外れ、わき道へ入った。
人がまったく通らない裏の通りを進み、また狭い路地へと入り込む。
シグの目的地は中心都市ラミアから、かなり離れた場所に位置していた。
「変わってないな……」
シグは足を止め、辺りを見回した。
古びれた建物が並び、人の姿がまったく見られない。
崩壊したビルに、割れた窓ガラス……かつて街として栄えたものの、今ではそのなごりが廃墟として存在しているだけだ。
人々に見捨てられ、忘れ去られたその場所はいつしかスラム街と呼ばれるようになり、今では放浪者や犯罪者たちのたまり場になっている。
シグはスラム街を迷うことなく進んでいき、ひとつの建物の前で足を止める。
なんの変哲もない壊れたビルの中に、シグは入っていった。
そのまま奥へ進み、階段を下りていく。
地下一階へと進むと、そこにはひとつの扉があった。
まるでそこから地獄につながっているかのように設置されている扉の前で、シグは立ち止まる。
シグは迷うことなく、その扉を開いた。
「よう、まだつぶれねえんだな」
シグは店内を進み、カウンターの奥でグラスを磨いている男の前に座る。
「うるせえ」
グラスを磨きながら、男はシグをにらみつけた。
「こんな寂れたところじゃ、客なんて来ねえだろ」
シグは男から灰皿を受け取る。
「ま、こんな店じゃ、マーケットのど真ん中でも繁盛しねえよ」
そう言って、客がたったひとりしかいない店内を見回し、男は苦い顔をした。
シグがやってきたのは、スラム街に位置するバーだった。
廃ビルの地下という一般の人間はまず立ち寄らない場所にあるが、それでもこのバーは「ある種」の人間がよく利用している。
「マスター……ホット・バダード・ラムをくれ、シナモン入りでな」
シグはメニューも見ずに注文を告げた。
「風邪でもひいたのかい?」
マスターはシグに話しかけながらも、カクテルを作り始める。
「俺の故郷には、そういう風習はない……だが、確かに風邪をひいたときに飲むやつもいるな」
カクテルを温めている間に、シナモンとバターを取り出す。
「このカクテルはあんまり飲むやつがいねえからな。あんたがこれを飲むなんて、めずらしいと思ってな」
温めたラム酒にバターを入れ、溶かしていく。
グラスに注ぎ、最後にシナモンを入れ、シグの前に置いた。
甘いシナモンの香りが漂い、バーに広がる。
「……こいつを、このカクテルを好きなやつのことを思い出しちまってな」
シグは、カクテルをなつかしむような目で眺めた後、口をつけた。
温かいカクテルが流れ込み、口内をシナモンと濃厚なバターの味が満たし、嚥下する。
適度に温められたアルコールが、体の奥から熱さを呼び覚ます。
「昔のコレかい?」
そう言って、マスターは小指を立てて見せる。
「いいや」
カクテルの温かさゆっくりと味わうように飲んでいく。
「……あいつと会ったのも、こんなバーだったな……」
シグがかすかに漏らした台詞は、誰の耳にも届かずに消えた。
「で、今日は何が知りたいんだ?」
いよいよ本題だという風に、マスターが話を切り出した。
「ウォンについての情報」
シグが、これ以上ないくらいにストレートに言い放つ。
「それは、また大物だな……高くつくぜ」
マスターがちらりと、シグの前に置かれた空のグラスを見る。
「ソルティー・ドッグ」
「まいど」
間髪なくシグがオーダーし、マスターが満足したように笑う。
「レモンをきかせてくれ」
シグはぶっきらぼうにマスターに注文をつけた。
「あいよ」
マスターはわかっているとばかりに、レモンを絞り始める。
「シグ、あんたついてるぜ」
「?」
シグはタバコを吸いかけた手を止め、マスターへと視線を送る。
そんなシグを見て、マスターはにやりと笑う。
「実はな……どうやら、このラミアにウォンのアジトがあるらしい」
マスターは声のトーンを落とし、真面目な口調で話した。
「……本当か?」
シグはいぶかしげにマスターを見る。
「俺の情報だぜ? 信憑性は高いと思うがな」
シェイカーを慣れた手つきで操りながら、マスターは意地悪く笑う。
「カクテル2杯で教えてくれるようじゃ、あやしいものだ」
シグは、改めてタバコに火をつけた。
「はっはっは! 万年文無しのあんたから高い金はもらおうなんて思ってねえよ!」
マスターがシェイカーを置き、グラスを取り出しながら大げさに笑う。
「悪かったな……文無しで」
不機嫌そうに煙を吐き出す。
「またツケにしといてやるさ……ウォンを捕まえたら、今までの分まとめてきっちり払ってくれよ」
マスターが、意地の悪い笑みを浮かべて条件とばかりに釘を刺す。
「イエッサー、マスター」
シグはタバコを灰皿に置き、おどけたように敬礼した。
「まあ、あんたの腕なら心配ないか……このメモに詳細が書いてある、早めに行きな」
カクテルの下に小さな紙切れを敷いて差し出す。
「今日ここに着いたばかりなんだ、今夜はゆっくりするよ」
シグはポケットにメモを押し込み、二杯目のカクテルに口をつける。
「これから仕事なのにか? 二日酔いになるなよ」
マスターは呆れたとばかりにため息をつく。
「つぶれそうな店の客になってやってるんだ、ありがたく思え」
シグは嫌みを言った。
「それは、ツケを全部清算してから言って欲しいな」
マスターの反撃。
「………」
クリティカルヒット、急所に当たった。
「はっはっは、さすがの“ソルティー・ドッグ”も文無しじゃなあ!」
マスターは豪快に笑いのける。
「……マスター、おかわり」
言い返せず、シグは不機嫌そうにタバコをくわえていた。
「頭が痛い……」
シグはうめきながら、宿のソファーでうなだれていた。
『あちゃー、完全に二日酔いだね……』
イルは首から提げていたコンピューターを操作しながら、うなだれているシグを見てため息をついた。
「で、その紙切れの情報は……どうだ?」
シグはぐったりしながらイルに視線を移した。
『データを照らし合わせてみてみたよ……ウォンが潜伏しているのは、宇宙港近くの倉庫街みたいだね』
コロニー全体の地図とメモのデータを照らし合わせると、そこで間違いなさそうだ。
「よし……歩いて行くぞ」
シグが上体を起こし、装備の確認を始める。
『えっ! その距離じゃ、今からだと昼になっちゃうよ』
タウンから少し離れたここからでも、かなり距離がある。
「それでいい……キャロルなんて使ってみろ、すぐに警戒されるぞ」
シグは、もっともらしくイルに言い聞かせる。
『……で、本音は?』
「操縦無理」
あまりにもストレートだ。
『う……確かに、二日酔いだもんね……』
イルも酔っ払いの操縦する戦闘機には乗りたくない。
仕方なく、歩いて行くことになった。
「とりあえず……」
シグがふらふらと立ち上がり、ベッドにどさりと倒れこんだ。
『え?』
イルがびっくりして振り返る。
「水をくれ」
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