Stray Disonare〜冷徹なる幻想曲〜
21世紀中盤、人類は今まで理論上にのみ存在していた「マイクロブラックホール」を発見する。
その後、数十年の研究で制御を可能とし、「重力制御システム」の開発を成功させた。
擬似重力を発生させることで宇宙での長期滞在が可能となり、宇宙への移住が実現する。
各惑星間をつなぐ圧縮空間「ロード」も、マイクロブラックホール技術の応用で開発され、移動時間は大幅に減少した。
これにより、各惑星間の交流、物資の大量輸送を手軽に行なうことを可能にした。
マイクロブラックホールの発見は、21世紀後半の宇宙開発の劇的な進歩の立役者だと言われている。
2
衛星軌道上コロニー「ラミア」
火星の衛星軌道上を周回しているコロニー。
小惑星を人間が住める環境に造り変え、火星まで運搬したものである。
火星と同じく、ラミアにも多くの人間が移り住んだ。
各所にタウンが作られ、大規模なマーケットが毎日開かれている。
高層ビルやターミナルなどが立ち並び、発展した街並みを望むことができる。
しかし、中心地から少し離れた路地には、小さな屋台がひしめき合うように並んでいる。
これこそがラミアの本当の姿であり、立ち並ぶ高層ビルは前世紀の遺産、今では戒めのオブジェと化していた。
現在も未開発地区が多々存在し、人々の手によって開発され続けている。
「……やはり、外はいい」
シグは早速、外に出ると軽くのびをした。
狭い船内で溜まった、体のコリをほぐす。
ラミアに到着したシグたちは、シップをタウンから少し離れた荒野に着陸させた。
タウン近くの小型船に対応したパーキングはすべて有料で、経費削減のためである。
決して、ケチっているわけではない(シグ談)。
『確かに、この開放感がいいよね』
イルも同じように、首を回したりしている。
ロードを通ったとしても、宇宙空間の移動には時間がかかる。
その間、ずっと狭いシップに閉じ込められているのだ。
自然と体にコリが溜まる。
「………」
シグは首や肩をほぐす軽い運動から、屈伸や前屈といった本格的なストレッチを始めた。
無重力空間から重力が存在するコロニーに来たことで負荷がかかり、多少なりとも体に重みやだるさを感じる。
軽い運動を行い、体を重力に慣らさせる。
シグは大地を踏みしめ、重力を確かめるように歩き回る。
体が慣れてきたのか、シグがシップの脇にもたれかかるように座り込んだ。
シグのいつもの場所に。
上着のポケットから、潰れかけたタバコの箱とライターを取り出した。
タバコを一本銜え、ライターで火をつける。
「………」
一口目を大きく吸い込み、ため息と一緒に大量の紫煙を吐き出す。
いつものように喫煙を始める。
紫煙を吐き出すと、軽くタバコを叩いて灰を地面に落とす。
重力があるため、燃え尽きた灰はポロポロとラミアの大地に舞い落ちる。
シグが吸い込むたび、タバコの先端が赤く燃える。
しかし、その灰もすぐに燃え尽きて散っていく。
「………」
シグはタバコをフィルターぎりぎりまで吸い、満足とばかりに紫煙をたっぷりと吐き出した。
吸殻を携帯灰皿に押し込み、ゆったりと喫煙の余韻に浸る。
『満足した?』
風上から見守っていたイルが訊いた。
「ああ、外は空気もうまいしな」
『60年前までは、二酸化炭素ばっかりだったよ?』
「………」
火星のテラフォーミングには約70年という膨大な時間がかかった。
完成したのは、2150年の現在から約60年前の2090年頃だ。
『また二酸化炭素増やして……しかも、タバコで』
タバコが嫌いなイルは、あくまでも風上から訊く。
「とりあえず、近場のタウンに行く」
話の腰など考えたこともないかのような口調で、話を切り替える。
不自然さ120%だ。
『はい、はい……』
その不自然な話の切り替えに、一切ツッコムことなく受け入れる。
『じゃあ、ここからはキャロルに乗り換えだね』
イルはそう言うと、首に提げていたコンピューターを操作し、シップの後部ハッチを開いた。
ハッチから超高速機動機〈キャロル〉を運び出させる。
しばらくすると、キャロルの準備が整った。
「行くぞ」
『でもさ……』
いざ出発というところで、イルが渋りだした。
「何だ」
シグは、すでにコックピットに座っている。
『いつも言うけど、これ……一人乗りだよね』
キャロルは、「一人乗り」超高速機動機である。
「乗れるぞ」
『確かにそうだけど……』
実際、二人は今までそうしてきている。
「乗れる」
『かなり無理してね……』
コックピットシートの後ろには隙間があり、イルはそこに体を押し込むことになる。
「歩くか?」
『それはいやだな……』
ここからタウンまで、歩いたら何時間もかかってしまう。
体力のないイルにとって、それは苦行に近い。
「置いてくぞ」
『いや、行くけどさ……』
あの狭いシップの中で、退屈せずに何時間も待てるわけがない。
「乗れ」
『いや、でもさ……』
「………」
シグはエンジンをかけた。
「乗れ」
イルは、それが地獄の底から響いてくるような声に聞こえた。
イルが狭い機内から解放されたのは、それから……数十分後のことだった。
二人は街で最も活気がある、ターミナル前で開かれているマーケットに来ていた。
シャトルは中心部から離れた場所にある、無料パーキングに停めた。
無料ゆえに、いつも利用させてもらっている。
『……首が痛い』
イルはまるで寝違いでも起こしたかのように、首を傾けたままでいる。
「枕、合ってるか?」
『……それ、皮肉?』
イルは首を押さえて、恨めしそうにシグを見る。
「いや」
そう言うが、口元が微妙に笑っている。
『あんな狭いところにずっといたから、体が固まってるよ……』
イルはしきりに体を動かしているが、さすがにすぐには違和感が取れないらしい。
「しばらくすれば治る」
そう言って、シグは歩き出した。
『他人を待つってことを、少しは覚えようよ……』
少し遅れて、イルも進み出す。
こうして、二人はメインストリートに入っていった。
中心都市「ラミア」
衛生と同じ名前のついたこの都市は、衛生ラミアの中で一番発展を遂げているタウンだ。
各所に点在するタウンを繋ぐ「ライン」の出発点は、このタウンにあるターミナルである。
衛生ラミアに来れば、人々は必ずここを訪れることになる。
それが、発展を遂げた一番の理由だ。
補給を求め、常にマーケットはにぎわっている。
食料品、燃料、武器など、ここで揃わないものはない……と、言われているほどだ。
裏通りに位置するショップには、違法なものも少なからず出回っている。
「………ふむ」
シグはメインストリートの途中、中央の広場で立ち止まった。
『どうしたのさ?』
隣りを歩いていたイルも立ち止まる。
「ここで別れよう」
『ああ、別行動だね』
情報を集めるのなら、自分がシグについていく必要はない。
「俺は情報を集める。お前は……おつかいでもしていろ」
『確かに、買出ししなきゃいけないものはたくさんあるけど……』
ちょうどそろそろ、食料や燃料などを補給する頃合いだった。
「2時間で済ませろ、またここに集合だ」
『シグ……ぼく、まだうんともすんとも言ってないよ……』
おそらく、無理矢理度256%は記録しただろう。
「まかせたぞ」
イルの文句をまったく聞き入れることなく、シグはその場を立ち去った。
当たり前のように、イルはその場に取り残された。
『………お〜い』
人ごみの中に消えていったシグのほうを見ながら、イルはため息をついた。
『買出しはするけどさ……おつかいはないよね、おつかいは……』
イルは渋々ながら、手近な店へと足を進めていった。
『はあ……』
イルは、先ほどシグと別れた広場から少し離れた場所のベンチに腰掛けていた。
その両脇には、これでもかと荷物が詰め込まれた大きな紙袋が置かれている。
『シグ……遅いなあ……』
シグと別れてから、すでに2時間半が過ぎようとしていた。
自分で時間を決めたくせに、30分経ってもまだ来ない。
「おつかいは終わったのか?」
イルの真後ろから、声がかかった。
『シグ……遅刻だよ。それに、おつかいとか言わないで』
「何のことだ?」
まったくわからないという顔をして、シグは前へ回り込んだ。
『待ち合わせ、もう30分も過ぎてる……』
「遅刻してないぞ」
イルの横に置いてある荷物を押しのけ、シグはベンチに座った。
『買い物2時間で済ませろって……』
「買い物は2時間で済ませろと言ったが、2時間後に集合だとは言っていない。場所は指定したが……」
シグは平然と言ってのける。
『……………』
「どうした?」
『いや……シグが本当に素だから、何も言えなくなった……』
「そうか」
シグは何事も無かったように、タバコを吸い始める。
『……で、どうだったの?』
「情報収集か?」
『……当たり前でしょ』
シグが素でやっているのかからかっているのか、イルでもよくわからないときがある。
「ダメだな、ロクな情報も手に入らなかった。裏の店にも当たってみたが……クローンというのは、この市場ではかなり珍しいらしい」
『う〜ん……それなら、本星の可能性が高いかもしれないね……』
シグの言葉に、唸りながら考え始める。
「だが、おもしろい情報は見つけた」
『え?』
そこでシグのほうに顔を向けた。
「ここ数日の間で、裏の市場にクローンが数体出回ったらしい」
『それって……!』
シグがニヤリと笑った。
「ああ、ウォンの可能性が高い」
シグが立ち上がる。
『それについての詳しい情報は?』
「残念ながら、それはまだだ。一旦、情報収集は終わりにする、今夜はここに宿を取るぞ」
そう言って、シグはタバコをもみ消した。
もちろん、吸殻は携帯灰皿に捨てる。
『シップには戻らないの?』
「ああ、今夜寄りたいところがあってな」
コートのポケットにタバコを押し込み、スタスタと歩き始める。
『シグ……だから、待つってことをしてくれないかな……』
「お前が追いつけばいい」
シグはそのまま歩き続ける。
『そういえば、夜にどこいくの?』
「お前は別に知らなくていい」
両腕で荷物を抱えたまま、イルはフラフラと歩き出す。
『ぼくも一緒にいくよ』
「お前は来なくていい」
『え、何でさ?』
「大人の時間さ、子供は寝ていろ」
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