Stray Disonare〜冷徹なる幻想曲〜








21世紀後半の「コロニー」建築により、人々は宇宙へと生活圏を広げた。


22世紀初頭には火星の「テラフォーミング」も完成し、多くの人が移住する。

その後「エウロパ」「タイタン」のテラフォーミングも完成し、人類の生活圏は土星にまで広がった。


各惑星間は「ロード」といわれる高速移動空間が繋がれ、惑星同士の交流も盛んに行なわれた。

アンドロイド、人工知能、遺伝子治療、核融合炉などの新技術の登場により、人々の生活は、より豊かになっていった。


そんな中、高性能学習機能付きのコンピューターウイルスが突如、発生する。


ウイルスはありとあらゆるアンチウイルスシステムを学習し、突破していく……もはや、感染を食い止める事はできなかった。

そのため、各国は損害が出るのを承知で全ネットワークを物理的に遮断した。


しかし、ウイルスは擬似物質により回線をつないで強制的に進入……これにより、太陽系のほぼ100パーセントのコンピューターが破壊され、全ネットワークが崩壊、停止した。

人々の生活が麻痺するだけでなく、コンピューター管理のコロニーでは気温、気圧、酸素濃度の管理システムが暴走し、合計300万人ほどの死者が出た。


その後、人類は崩壊前のレベルまで復興するのに、30年の時間を必要とした。


世界ネットワークの崩壊により、これまでの国家体制は維持できなくなった。

地球と断絶された宇宙の各都市は地球の国を信用しなくなり、各コロニー、各都市で自治をし始める。


この事件により、コンピューター依存の危険性をすべての人が理解する事となった。


コンピューター依存の恐さを心底味わった人々は、今までのバーチャル化方針から現実化へと方向転換した。

コンピューターの使用は最低限に抑え、できるだけ自ら行うようになる。


この事件は“ゴッドブレス”(神の息吹)と呼ばれ、人類の歴史に深く刻まれる事となった。
















『やあ、おかえりシグ』

青年――シグは外部ハッチからシップ内部に乗り込むと、早速歓迎をうけた。


「……離脱は?」

シグは声の主に一言、そう告げた。


慣れた様子で無重力空間を移動していく。

身体を包んでいた宇宙服を脱ぎ捨て、備え付けのロッカーへと適当に放り込んだ。

変わりに、中からしわのよったグレーのスーツを取り出す。


『ご心配なく。もうすでに小惑星帯を離脱、通常運航にシフトしたよ』

シップのコックピットには、笑みを浮かべた茶髪の少年が座っている。


やや高めの身長、細身の体にTシャツとジーンズというラフな格好だ。

その傍らには、一台のノート型コンピューターが置かれている。


もっとも、コンピューターと言っても手のひらに納まる大きさで、薄さも文庫本程度だ。

少年はいつも、コンピューターをストラップで首から提げて持ち歩いている。


「………」

シグはそれに対する返答もせず、上着を羽織る。


首をコキコキ鳴らし、軽く伸びをした。

ソファー型のシートに腰掛け、深く息をつく。


『ドリンクは、保冷庫に入ってるから』

少年は、シグを横目で見ながらそう告げた。

しかし、シグはそれに関係なく窓際の席に移動する。


シグのいつもの席に。


「………」

上着のポケットから、潰れかけたタバコの箱とライターを取り出す。

タバコを一本銜え、ライターで火をつけ――ようとした。


それと同時にけたたましい警告音と同時に、シグの目の前にパネルが展開する。

空中に展開したパネルには『船内禁煙、No Smoking、喫煙はあなたの健康を……』と、タバコを吸うなといういろいろなうたい文句がびっしり書かれていた。


「………」

が、シグはそれをまったく見ることなくタバコに火をつけ、いつものように喫煙を始めた。

目の前のパネルを完全に無視している。


『いつものことだけどさ、止めてもらうとありがたいんだけど……』

紫煙を吐き出すシグ。


『一応、船内空気の循環はフィルター通してるけどさ……フィルターがすぐヤニだらけになっちゃうし、最近船内が黄ばんでる気がするんだけど……』

タバコの先端が赤く燃える。


『って、やっぱり聞いてないよね……』

仕方なく、いつものごとく展開しているパネルを閉じる。


「………」

シグはタバコをフィルターぎりぎりまで吸い、最後に満足とばかりに紫煙をたっぷりと吐き出す。

無重力空間なので、タバコの灰は最後まで落ちることなく燃え尽きた。


吸殻を携帯灰皿に押し込み、ゆったりと喫煙の余韻に浸る。


『宇宙船内で吸ったり、仕事中に吸ったり、歩きタバコとかする癖に、携帯灰皿は持ってるんだよね……』


シグ曰く、「俺なりのマナー」……らしい。


「イル」

シグは天井を見ながら何気なく呟いた――少年の名を。


『そろそろだと思ってたよ。で、どうだった?』

少年――イルは振り向き、笑みを浮かべたまま言葉を続けた。


『予想通り?』

「ああ……」

シグは天井を見つめながら、肯定の言葉を返す。


『………』

それを聞いた少年の顔から笑みが消え、真剣な顔になった。


『やっぱり、あの小惑星で研究と生産をしていたみたいだね』

「内部施設に痕跡があった」

『製造施設や研究データは?』

「施設の残骸のみ存在。一部の研究データを破損した状態で発見した」

イルの質問が終わり、シグもそこで言葉を終えた。

イルはシグの情報を聞いて、少しの間思案する。


シグは、相変わらず天井を見つめていた。


『……どうやら、あの小惑星を放棄して施設を移したみたいだね』

「たぶんな」

シグもその考えに同意した。


「定期的に場所を移しているんだろう。俺たちのような“バウンティハンター”から狙われる賞金首にしては、賢いやり方だ」





“バウンティハンター”


世界ネットワークの崩壊により、各都市が緊急に自治政府をつくり暫定的に統治を始めた。

その一環として、自警団も組織されていた。

前国家が崩壊したことにより規制がゆるみ、宇宙航行技術など、規制されていたテクノロジーが一般にも流出し始めた。

国家レベルの権力を持たない自警団は、より複雑化する犯罪に対処することができず。

治安は悪化する一方だった。

そのため、自治政府は一般人にも一時的に逮捕権を与える法律――バウンティハンター制度――を復活させた。

これにより“賞金稼ぎ”を生業として生活する者も現れ、結果的に治安は安定することになった。





『クローン技術を扱ってるくらいだから、少なくともシグよりは賢いと思うよ』

「……イル。お前、自分が頭いいからってバカにしてるだろ……」

イルは、のどの奥で軽く笑ってから『まあね』と言った。





シグルート・マルコニー(Sigruat・Mulcony)


月軌道コロニー「イデア」出身の賞金稼ぎ。

24歳の東洋人。

しかし、それ以外の経歴は全て不明。

常にくたびれたスーツをだらしなく着込んでいる。

サンボ、空手といった格闘技の心得があり、銃器の大抵のものは扱える。





イル・サミュエル・ドラグナー(Ill・Samuel・Dragonar)


火星出身。

ある研究所で生まれた15歳の遺伝子操作人間。

有名な数学家と物理学者の遺伝子が組み込まれていて、IQは測定不能。

だが、遺伝子操作人間ゆえに声帯に障害があり、話すことができない。

そのため、常に持ち歩いているコンピューターの音声を使って会話をしている。





2人はバウンティハンターとしてコンビを組み、小型宇宙船を足に、賞金を稼いで生計を立てている。





『でも、あの脱出方法は危険すぎるよ』

「あの施設は完全に破壊する必要があった。そのついでだ」

『でもさ……』

「危険度を無視すれば、あれが最善の策だ」

『またそれだ……』


シグは潜入した際、脱出する前に小惑星の重力発生装置に爆薬をセットしていた。

破壊と同時に重力が0になり、その反動で宇宙空間に飛び出した。

警備アンドロイドのAIを対応不能に陥らせ、研究施設も爆風で吹き飛ばした。

シグは作戦を立てる際、危険度などは完全に無視し、あくまでも成功率で判断する。

自分の身に降りかかる危険など、一切考えない。

たとえ、作戦の成功率が1%だろうとシグは作戦を成功させようと最善を尽くす。


「話の続きだ」

シグは天井を見つめたまま告げる。


『はいはい……』

いつも通り、強引に話を変えられる。

シグが他人に気を使うところを、イルは見たことがない。


『それで、今後の行動について役に立ちそうな情報は?』

「おそらく、火星圏だ」

『火星……』

「最近、火星圏を中心に取引されていることと今回の情報から考えて、施設の移動先は火星圏の確立が高い」

『ウォン・ヘレナー……クローンの密造、密売の罪で賞金をかけられている。450万の大物だね……どうやら間違いなさそうだ』

傍らに置いてあるコンピューターのキーボードを操作し、船内に浮かぶパネルにデータを映し出す。


「ウォンのさびれた逃亡生活も、これで終わりだな……」

シグは天井を見つめたまま、呟いた。


『とりあえず、目的地は火星だね。本星に向かう?』

「いや、ラミアに行く。補給と情報を集める」

『了解。じゃあ、木星―火星間のロードを使用後、通常運航でラミアに向かうよ』

「それでいい。俺は着くまで休む」

『はいはい、お疲れ様』

イルは目的地の座標変更をしようと、姿勢を戻す。


「イル」

突然、呼ばれた。


『何?』

振り向かずに答える。


「天井……黄色くなってんぞ」

『だから言ったじゃないかっ!!』





プロローグ 第2章

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