Stray Disonare〜冷徹なる幻想曲〜





ついに、私は人を超えた

新しい手足を手に入れ、この体も自由自在に動かせる

人間という生き物は、なんと不便なものだったろうか

その事実が、この体になって初めてわかった

これで……準備は整った

これからだ……これから始まる

私のためだけの、新しい世界の創造が――


2110年5月5日   ***・****










プロローグ





全てを闇が支配する空間


灯りのない通路


その世界を疾走する影があった


速く、それでいて滑らかな動き――足音は全くしない。

その動きが、急に止まった。


通路の突き当たり、T字路になった通路の壁に背をつける。

壁に張り付きながら、通路の先を窺う。

すでに目は闇に慣れている。


案の定、その先にはライフルを天井に向けて構え、周囲を警戒しているもの


――警備用アンドロイド――


の姿があった。

人間を模して作られた、自律機動機械。

そのシルエットは決して人間そっくりとは言えないが、フレーム構造や神経回路は人間に酷似している。

彼らの姿を視界に捉えると、影――青年はため息をついた。


アステロイドベルトにある資源採掘小惑星。


最もすでに資源は掘りつくされ、今では放置されたただの小惑星と化している。

とうの昔に人はいなくなり、無人警備システムが残されている。

そのセキュリティの一部である、警備用アンドロイドが数メートル先に立ち塞がっていた。


青年がいるのは、その内部施設。

薄手の宇宙服に身を包み、バックパックには短時間作業用の酸素ボンベを装備している。

しかし、彼はこの施設の関係者ではなかった。


本来、ここは関係者以外立ち入り禁止だ。

許可など取っていない。


立派な不法侵入――犯罪だ。


もし彼らに見つかれば、不法侵入者として即排除。

装備しているライフルで、確実に蜂の巣にされるだろう。


もちろん、そんな目には遭いたくない。

もう青年は、ここに用は無かった。

すでに用事は済ませている。


警備の目を掻い潜り、脱出しようとしている最中だった。

しかし、アンドロイドが設定していた脱出ルートを塞いでいる。


――警備ルートのチェックミスだ。


気付かれずに通り抜けるのは無理に近い。

これが普通の人間相手なら、青年は数秒も掛からずに無力化できる。

しかし、この警備用アンドロイドではそうはいかなかった。


頭部に設置された暗視、赤熱センサーを備えた高性能の複合センサー。

セラミック繊維製の人工筋肉による、人間を遙かに上回るパワー。

耐弾性の高い、やや丸みのある表面装甲。

耐衝撃性能にも優れ、搭載されたAIの損傷率もかなり低い。

右腕マニュピュレーターにはフルオートのライフルが装備されている。


どれを取っても、現状の装備ではまともに対抗できる相手ではない。


思考をまとめ、青年は息を整えた。

高性能の複合センサーとはいえ、わずかながら死角は存在する。


青年が深く息を吸いこんだとき。

アンドロイドの首が動き、青年の姿がセンサーの死角に入った。


一瞬の隙を突き、T字路の左側へと跳んだ。

すばやく、通路の奥に身体を転がり込ませる。


流れ動作で立ち上がり、音を立てないように素早く角に身体を押し当て、身を隠す。

様子を窺うが、どうやらさっきのアンドロイドには気付かれなかったようだ。


ルートを少し迂回して進もうと足を踏み出したのと、その先からアンドロイドが出てきたのは同時だった。


身体を爆発的に動かし、空中で一回転する。

その動作で、すかさず発砲された弾丸をかわす。


着地したと同時に、もう一度跳ぶ。

別方向からの、ライフルの斉射が青年を襲った。


鉛の雨を避け、着地から流れるように身体を走らせる。

全力でその場から離れた。


距離は稼いだが、後ろからは追って来る気配が――二体。

発砲は止めた様だが、油断はできない。


Bルートも塞がれた。

どう脱出しようかと考えていた思考は、目の前に現れた壁によって、進路と共に遮られた。


――行き止まり。


そんな張り紙でも張ってありそうなくらい、見事に逃げ場が無かった。

上は吹き抜けになっていて、割れた天窓からは星空が見える。

しかし、天井まではとても登れそうにない。


引き返そうと振り返るが、すでに二体のアンドロイドが退路を塞いでいた。

アンドロイドは青年を追い詰めたのを確認したのか、動きを止めるとライフルを水平に構えた。


二つの赤い光が、二本の線になって青年を捉えていた。

ロックオンされている。


……下手な動きはできない。


青年の腰には、ホルスターに入った拳銃が一丁あった。

しかし、銃を抜くことは戦闘の意思を見せることになる。


不振な行動を起こせば、すぐにロックオンされたライフルが火を噴く。

そうなれば、確実に助からない。


袋小路に追い込まれた青年に、二体のアンドロイドがゆっくりと近付いてきた。


しかし、青年の顔にはあせりや困惑の表情は浮かんでいなかった。

ましてや、恐怖など微塵も感じられない。

そこには、場違いな余裕の笑みが張り付いていた。


開いた左手を前に突き出し、ゆっくりと一本ずつ指を折り曲げ始める。


「5,4,3……」


余裕の笑みを浮かべたまま、カウントダウンを始める。

アンドロイドが接近してきても、青年は止めようとしない。


アンドロイドは、それを知覚していないのか。

構わず、にじり寄るだけだった。


そして

――ついに、指が全部折り畳まれた。


「――0」


青年がカウントゼロを告げるのと、跳躍したのは同時だった。

ライフルが青年を追う。


が、コンマ数秒後に施設を大きく揺らす振動と爆発音。


飛び上がった青年がまるで糸で引っ張られるように、猛スピードで上昇していく。

アンドロイドは侵入者を排除しようと、天井へライフルを向ける。


しかし、その行動は失敗に終わった。


足が地面から離れ、身体が浮き始めたのだ。

無意味に手足をばたつかせるが、状況の悪化を招き、一体は逆さまになっている。


突然起こった現象に、アンドロイドのAIは行動不能に陥る。

その間に、青年は施設の天窓から飛び出していた。


脱出には成功したものの、青年には大きな問題が残されていた。


この勢いのままでは、すぐに大気の外へと飛び出してしまう。

宇宙服とはいえ、宇宙空間の漂流に耐えられる訳ではない。


しかし、青年の進路の先に待ち構えている物体があった。


平面と曲面が組み合わされたシルエット。

小惑星の外で浮かんでいるのは、シンプルな外観の小型宇宙船〈シップ〉だった。


青年が衝突する前に、機体側面に設置されたツールバインダーからネットが射出され、青年を受けとめた。


『回収完了。船内に戻り次第、火星に戻るよ』





第1章

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