夢か現か幻か
Episode6:並木道にて
家に帰る前に、商店街によることにした。
しばらくこの街で暮らすことになる以上、どの店がどこにあるのか、早く知っておいたほうがいいだろう、という判断だ。
“まずは本屋とCD屋と――”
商店街を歩きながら、そんな風に祐一が探す店の算段をしていると、
“――ん?”
タタタタタタッ
前方から、小柄な女の子が駆けてきた。
しきりに自分の後方を気にしており、祐一のことにはまるで気付いていない。
「……ぶつかるぞ、あゆ」
「――へっ?」
不意に声をかけられ、女の子――月宮あゆは驚いた顔で正面を見て、
「え? わ、わ! どっどいてー!」
正面に人がいることに気付き、慌てて大声で叫ぶ。
祐一は、今日は落ち着いて、半身になりながら突撃してきたあゆを避ける。
障害物であった祐一がいなくなり道は開いたが、あせったことで体勢が崩れたのか、あゆは先ほどまで祐一が立っていた地面に、頭から倒れていった。
べちっ!
額と地面がぶつかる音が、祐一の耳に届いた。
「……大丈夫か?」
なんとなく昨日のことを思い出しながら、安否を確認する。
「ぜんっぜん大丈夫じゃないよ!」
がばぁ! と身を起こしながら、あゆが叫ぶ。
「叫べる元気があるってことは大丈夫だな。よかったよかった」
「…大丈夫じゃないって言ってるのに」
涙目になりながら、コートについた雪を払う。
「……ひどいよ祐一君」
「今日は俺は悪くないと思うぞ」
ぶつかるかもしれなかったあゆに注意を促し、衝突の危機を回避したのだ。
その後ひとりであゆが転んだのは――まあ、祐一のせいではない。
「うぐぅ…鼻の頭擦りむいちゃったよ」
「名誉の負傷だな――って」
軽口を返す祐一の目が、あゆが胸に抱える紙袋に留まった。
「……あゆ」
「ん、なに?」
「……それは何だ?」
「!?」
見覚えのある紙袋。
さっきまでの後方を気にして走っていた少女の姿。
そして、自分の質問に明らかな動揺を示す少女の顔。
答えは、聞くまでもなく明白だった。
がしっ!
少女は突如、祐一の腕を掴み。
「逃げるよ! 祐一君!」
後ろを見ながら駆け出した。
「またか! またなのか!?」
「話はあとっ!」
頭痛がする心地で後ろを見ると――見間違いだと思いたいが――どうも見た覚えのある中年男が自分達を追いかけて走っている。
「あれ、昨日のおやじじゃないのか?」
「うん。同じお店のおじさんだから」
「お前、実はチャレンジャーだろ!?」
加速する脚。
加速する頭痛。
天を仰ぐと、晴れ渡った青空が見えた。
「ここまで…来れば……大丈夫だよね…」
「そのセリフ。昨日も聞いたぞ」
呆れた顔で指摘する。
逃げている内に商店街を抜けたのか、周りの風景は閑静な並木道に変わっている。
たい焼き屋どころか、自分たち以外誰もいなかった。
「うぐぅ…怖かったよ〜」
「それも昨日聞いたな……にしても――なんでまた食い逃げなんかしたんだよ?」
「え〜と……またお財布忘れちゃって………」
「…………はああぁぁぁっ」
盛大に溜め息を吐く祐一を置き、あゆは「走ったら、お腹すいたね」などとのたまいつつ、がさごそと紙袋を漁りだした。
「……早速盗品の確認か?」
「…人聞き悪いよ」
「事実だろ」
祐一の正論を聞き流しながら、あゆはたい焼きを食べ始めた。
「はぐ……やっぱりたい焼きは焼きたてが一番だよね」
「それも昨日聞いた! っていうか食うなっ! それはちゃんと金を払ったやつが言う台詞だぞと昨日も言ったっ!!」
「祐一君も食べる?」
「いらんわっ!」
「うぐぅ……昨日は食べたのに………ひとつ食べるもふたつ食べるも一緒だよ」
「さり気なく共犯者にするな、俺は善意の第三者だっ!」
「ぜんいのだいさんしゃ?」
何それ? という顔をする。
「この場合は、お前がたい焼きを盗んだことを知らずに一緒に食べてしまった人のことだ。その場合その人に罪はない」
「……だったら祐一君は当てはまらないと思うけど………」
「……………………それはともかく」
不自然に話を切り上げ、再び周囲を見回す。
逃げるのに必死で、気付けば見覚えのない所まで来てしまっていた。
どうやって帰ればいいのか、見当もつかない。
が、すぐにあゆなら知っているだろうと思い直す。
「さて……食い終わったか?」
「うん。おいしかったよ」
ほくほくした笑顔で答えるあゆ。
一度世の厳しさを教え込みたい衝動に駆られたが、なんとか我慢する。
「そうか、それじゃあひとまず商店街まで戻るか」
「そうだね」
祐一の提案に、笑顔のまま頷く。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
数秒。
二人の間に沈黙が満ちた。
「……あゆ、お前帰り道を知らないのか?」
「ボク? うん。こんな所はじめて来たもん」
「……………………」
あっさり肯定されてしまい、思わず頭を抱える。
「……祐一君が知ってるんじゃないの?」
その様子で気付いたのか、不安そうな顔であゆが訊ねた。
「あのなぁ……地元の人間が知らないものを、一昨日引っ越してきたばかりの俺が分かるわけないだろ」
「え、そうなの?」
驚いた表情を見せるあゆ。
「当たり前だ。1日で覚えられるか」
「そうじゃなくて、引っ越してきたって……」
真剣な眼差しで言ってくる少女を怪訝に思いながら、祐一は答えた。
「ああ。昔、少しだけ住んでいたこともあったけどな」
「……それって7年前?」
「なんで知ってるんだ?」
静かに発せられたあゆの言葉に、今度は祐一が驚愕した。
「もしかして……祐一…君?」
「……あゆ?」
「そっ…か……」
放心したように呟く。気付くと、少女の肩は小刻みに震えている。
「本当は、昨日会った時から…そうじゃないかって思ってたんだ……名前…一緒だし……それに、変な男の子だし…」
何気なく失礼なことを言われた気がするが、あゆの態度に動揺して、言葉を返せない。
あゆはわずかに瞳を潤ませながら続ける。
「昔の、ボクが知ってる頃の、ホントそのまんまだったし……」
「…………」
7年前。
「…帰ってきて…くれたんだね」
失われた記憶。
「ボクとの約束、守ってくれたんだね……」
その一片が、不意に蘇った。
雪。
商店街。
たい焼き。
夕焼け。
赤い空。
そして――
「――あゆ」
「うん。久しぶりだね」
まだ潤んだ瞳で、満面の笑顔を返す少女。
その笑顔を見ながら、
「そうだな……本当に久しぶりだ」
少しずつ、しかし確実に記憶が蘇ってくるのを、祐一は感じていた。
雪の街で出会い、短い間だったけど、自分は少女と時間を共にしていた。
だけど、思い出せることはそれだけだった。
あゆがどんな女の子だったかも、どうして知り合ったかも、思い出すことができない。
「お帰り、祐一君っ」
そう言って、あゆは雪を蹴って祐一に両手を伸ばす。
それを祐一は――思わず避けてしまった。
「へ?」
「あっ」
祐一の後ろには、太い木の幹があった。
祐一のあまりと言えばあまりな反応に、思考を凍らせたあゆは――
べちっ!
――当然のごとく、それに顔面から衝突した。
「…………」
「…………」
「あー…そのー……あゆ?」
「…………」
「えーっと……今のは俺が悪かったような気がしないでもないと思う」
どうにも謝罪とは言いがたい言葉だ。
「…………う、ううっ……避けたぁ! 祐一君が避けたぁっ!!」
「いや、だって……いきなり襲いかかってきたから…」
「ひ、ひどいよ! 襲いかかってなんてないよっ!」
耳まで真っ赤にしてあゆが叫んだその時、
どさどさっ
「きゃっ」
雪の落ちる音と、小さな悲鳴が聞えてきた。
「ん?」
見ると、あゆがぶつかった木の傍で、誰かが座り込んでいた。
「…………」
頭に雪を被り、その拍子に落としたのだろう、買い物袋とその中身が散らばっている。
それはひとりの少女だった。
年の頃は祐一よりもひとつふたつ幼い程度か、やたらと薄着で、チェックのストールを纏っている以外、防寒着らしいものは何もない。
見ていると寒々しく思えてくる。
「…………」
何が起こったのか分からない、といった感じで、頭にのった雪を払うこともなく、目をしばたたかせる。
「大丈夫か?」
「……え…あ…」
祐一が安否を訊ねても、反応は鈍い。
やはりかなり動揺しているのだろう。
「……えっと…はい………大丈夫…です」
大丈夫と言いつつ、やはり座り込んでしまっている。
見たところ怪我をしたわけでもなさそうなので――
“――うーむ、警戒…してるのか? まあ、こっちは見ず知らずの二人組みだからなぁ”
と思い至る。
「悪かったな。いきなり」
「あ…その……」
少女はまだ訳が分からずに反応に戸惑っている。祐一はそれを和ませようと、
「こいつはどうだか知らないが、少なくとも俺は怪しい者じゃないから安心してくれ」
あゆを指差しながら、いかにも怪しいことを言う。
「ボクだって、善良な一般市民だよ」
「善良な一般市民は食い逃げなんてしないぞ……」
ぬけぬけと言い切ったあゆに、呆れ顔を向ける自称善意の第三者。
「…くいにげ?」
その物騒な言葉に反応し、少女がぽつりと聞き返した。
「あ、あれはたまたま……」
「たまたまって…2日連続だっただろ」
「…まぁ、二度あることは三度あるって言うし」
「それは墓穴を掘ってるだけだぞ」
少女は複雑な顔をして二人の奇妙な漫才を見ている。
「見ろ。あゆがおかしなこと言うから、呆れられたじゃないか」
「ボクのせいじゃないもんっ!」
「…………」
「…………」
「…………」
いつまでも動かない少女に、さすがに気まずくなったのか、微妙な沈黙が満ちる。
「……えっと、とりあえず、拾うの手伝うよ」
状況を打開すべく、あゆが動いた。
少女のそばにしゃがみ込んで、散乱している荷物に手をのばした――が、
「あ!」
少女が上げた声に、ぴたりと動きを止める。
「……どうしたの?」
「え…いえ、なんでもないです…」
気まずげに視線を逸らし、今思い出したかのように、自分の頭や肩に積もった雪を払い落とす。
「自分で拾いますから」
少女は早口にそう言って買い物袋を拾い上げた。
そして、自分で散らばった荷物を片付け始める。
祐一はその様子にひっかかりを覚えながらも、追求はしないことにした。
「……随分と色々買ったなぁ」
その言葉通り、少女は本当に様々なものを買い込んでいた。
スナック、チョコレートなどの菓子類。
数本のペンや消しゴム、カッターナイフやノートなどの文房具類。
雑誌が数冊と小さなクマのぬいぐるみ……どれも商店街で揃うものだが、一度の買い物にしては確かに量が多かった。
「ええ…私あんまり外出しないので、時々まとめ買いをするんです……」
荷物をまとめ終え、腰を上げる。
立ち上がってみると、かなり小柄な娘だった。
「あ…レシート落ちてるよ」
あゆが雪に半分埋もれたレシートの端を指差す。
「…すみません。拾っていただけますか?」
たくさんの荷物を抱えたまま、あゆに向かって言う。
「はい」
レシートを摘み上げ、少女に手渡した。それを受け取り、紙袋に入れる。
「ありがとうございます」
「ううん。いいんだよ……もともと半分くらいボクが悪いんだし」
「半分? お前が木にぶつかったから雪が落ちていたんだから、きっぱりとお前のせいだろ?」
「うぐぅ……って違うよ! もとはと言えば祐一君が避けるからいけないんだよ!!」
「いや、だって…いきなり襲いかかって――」
「襲いかかってなんていないったら!!」
「じゃあなんだったんだ?」
真顔で問い返す祐一。
「感動の再開シーンだよっ!!」
「……どこが?」
「だから、そうなる筈だったのに祐一君が……うぐぅ、もういいもんっ!!」
あゆは拗ねたように頬を膨らませ、ぷいっと横を向いた。
「7年ぶりの再会シーンで木にぶつかったのなんて、きっとボクだけだよ」
「やったな、世界初だ!」
「ぜんっぜん嬉しくないよぉ!」
再び始まった言い合いに、少女は複雑な視線を向けてきた。
「まあ…気にしないでくれ」
「えっと……よく分からないですけど、分かりました」
言葉通り、よく分かっていない様子で頷く。
その隣で、あゆはころっと笑顔に戻って、
「でも…運命だよね」
呟いた。
「………頭は大丈夫か? あゆ。随分と強く打ってたみたいだな」
「うぐぅ! どうしてそういうこと言うの!?」
「いや、だって…似合わないこと言い出すから……」
「ひ、ひどいよ祐一君」
がっくりと肩を落とす。
少女はその姿にきょとんとしながら、
「うんめい、ですか……」
なぜか、自分に言い聞かせるように囁いた。
「うん。少なくともボクは、そう思ってるよ」
「俺はただの腐れ縁だと思うぞ」
昨日今日のことを思い返しながら言う。
確かに、2日も続けて食い逃げに巻き込まれるなど、運命と言うには間抜けすぎる。
「ねぇねぇ、キミって何年生?」
あゆはそんなことには頓着せず、少女と打ち解けようとしていた。
もしかしたら、もはやついさっき自分が食い逃げしたことなど忘れているのかもしれない。
少女もあゆに害意がないことを見て取ったのか、ようやく肩の力を抜いていた。
「一年生です」
「ということは、ボクの一つ下だね」
「えっ! あゆって俺と同じ学年だったのかっ!?」
驚愕の声を上げる祐一。
その言動と体形から――
「そうだよ」
「――全然分からなかった。俺はてっきり――」
もっともっと下の学校だと思っていた。
「てっきり……何かな?」
あゆは顔こそ笑っているが、声がまったく笑っていない。
「同じ学年だと思ってた」
「変な言葉遣いだよ」
「まあ、気にするな」
明後日の方向を見ながら、話を切り上げる。
少女はそんな二人を静かに見ていたが、大分日が傾いてきた空に視線を移した。
「……そろそろ日が暮れますね」
「ん…ああ、そうだな。悪かったな、引き止めて」
「うん。今日はごめんね」
「いえ……なんだか、楽しかったです」
そう言って、少女は少し、微笑んだ。
「それじゃあ、私……」
「ああ……じゃ、俺たちも行くか」
「そうだね」
頷きあい、二人は少女に向かって手を振り、並木道を歩き始めた。
「あ、あの……」
「ん?」
と、背後からかかった少女の呼び止める声に、二人で振り返る。
少女は二人の視線を受け、
「………………いえ、なんでもないです」
たっぷり数秒の間をあけてから、言った。
「……? じゃあ、今度こそ……」
「ええ…さようなら」
「バイバイ」
少女の別れの挨拶に、あゆが元気よく応えた。
と、歩き出しかけてから祐一は、あることを思い出して、
「――ちょっと待った!」
背を向きかけた少女を呼び止めた。
「……はい?」
きょとんとした表情を向ける。
その少女に、
「商店街ってどっち?」
「……え?」
ひどく、間抜けな問いをぶつけた。