夢か現か幻か
Episode3:理を用いる者
【妖魔(クリーチャー)】と呼ばれる存在がいる。
古より、幾度もこの世界へ降り立ち、今この時も現れ続けているモノ。
それらに定まった姿形はない。
あるモノは炎を吐き出す口を持ち、あるモノは鉄をも切り裂く爪を持ち、またあるモノは空を翔ける翼を持っていた。
さらには形すらなく、人や獣に憑くことで存在するモノもいた。
異界より現れ、人に害を成す存在。
人はそれら全てを畏怖と共に【妖魔】と名付けた。
人は妖魔を恐れ、妖魔を憎み、妖魔を滅した。
滅ぼしても滅ぼしても現れ続ける異界の住民を、来る日も来る日も討ち続けた。
やがて妖魔が多くの人間の目には映らなくなるにつれ、人々はその存在を忘れていった。
だが、妖魔はこの世界からいなくなったわけではない。
そして、その事実を知りそれらを討つ、【狩人(ハンター)】と呼ばれる人間もまた、いなくなったわけではない。
彼は、その一人だった。
耳が痛くなるほどの静寂の只中に、祐一は立っている。
数時間前に名雪と共に来て、月宮あゆという奇妙な少女と出会った場所。
商店街の入り口に、祐一は立っている。
見える範囲の店はどこもシャッターが下りている。
この時間、それだけなら当然とも言えた。
自分以外の人間の気配がしないことも、異常と呼べる程の事ではない。
だが、静か過ぎた。
街中だろうと、森の奥深くだろうと、山の頂上だろうと、完全な無音というのは滅多にありえない。
虫の音、鳥の声、風が通り過ぎる音、そのどれもがこの場にはない。
道中あれほど吹きすさび、体から熱を奪っていた冷たい風が、今は完全に凪いでいた。
耳を澄ませば、己の心臓の鼓動すら聞こえてきそうだ。
空気が死んでいる。
そんな表現が相応しい場で、祐一は己が狩るべき標的を見つけ、呟いた。
「…鬼か」
視線の先には身長が3メートル以上ありそうな巨人がいる。
赤黒い肌、子供の胴より太い両腕、額から生えた2本の角、その下の巨大な1つ目。
狩人の間では、祐一が言ったように【鬼】と呼ばれる種類の妖魔である。
秋子から聞いた情報によれば、目の前の妖魔は数日前に人をひとり喰っている。
鬼は真っ直ぐ祐一を見返している。
おそらく、彼のことを新たな獲物とでも思っているのだろうが――
“お生憎様だ”
軽く息を吐き、吸う。
そして唱える。
「封界」
突如、祐一の足元に光が生じた。
光は彼を中心に円形に広がり、途中で弧を描きながら上に伸びる。
治まった時には半径30メートル程のドームを形成していた。
祐一が【理術】で鬼が逃げないように結界を作ったのだ。
【理術(スペル)】とは、即ち〈理(ことわり)を操る技術〉である。
【世界】は、常にその世界が定めた【法則】によって成り立っている。
理術とはそれを自分の意志で作り変え、新たな法則を生み出し操る技術のことを言う。
【世界】というシステムに干渉し、一時的に書き換える、と言ってもいい。
だが、あくまで一時的である。
世界はただちに書き換えられた法則を修正しようとする。
故に、理術は永続しない。
理術が持続する時間は、術の規模や術者の力量による。
そして、祐一がこの大きさの理術結界を維持していられる時間は……
「もって10分。手早く片付けないとな」
チカラを持たない人間は結界の中には入ってこれない。
目撃される心配はないので、存分に狩りをさせてもらう。
祐一の研ぎ澄まされた殺気に、鬼が反応した。
その巨体からは信じられぬスピードで彼に肉薄し、腕を振るう。
祐一はそれを素手で受ける…などということはせず、後ろに跳んでかわす。
一撃をかわされても、鬼はめげずに次々と連撃を仕掛けてきた。
拳を突き出し、爪を立て、あるいは脚を振り上げる。
巨体から繰り出されるそれら全ての攻撃は、まともにくらえば肉がえぐれる…あるいは骨が砕けるだろう。
だが祐一は、一撃一撃の軌道を完璧に読み、紙一重でかわした。
と、攻撃があたらないことに焦れた鬼が、両手を大きく横薙ぎに払った。
ゴウッ
祐一はそれを腕の下の死角に潜り込むことで避ける。鬼の一撃が巻き起こす風を肌で感じつつ、相手の背後に回り込んだ。
鬼が振り返りながら豪腕を振り回した時には、祐一は大きく間合いを開けていた。
「雪月花!」
祐一が叫び、空中に指を横に走らせる。
すると、指が描いた軌跡に光の線が生まれた。
祐一が左手で掴むと、それは瞬時に物質化した。
現れたのは一振りの刀――銘は《雪月花》。
腰を低く落とし、左手親指で鍔を押す。
カチリ
鯉口を切るわずかな音すら、この静寂の中では大きく響く。
またも鬼が突進してくる。
今度はさらに速い。
祐一が前後左右、どの方向に避けても、このスピードとリーチならば捕まってしまうだろう。
だが、今の彼は丸腰ではない。
だから彼は逃げずに前に出た。
鬼が走り込みながら腕を振り下ろす。
頭の上からの攻撃。
くらっていたら、人間の頭蓋骨など卵の殻も同然に潰れていたかもしれない。
あくまでも、くらっていたら。
「斬!」
鬼の懐に跳び込みつつ、祐一の右手が柄に走った。
そして、一閃。
チン
小さな金属音がした時には、祐一と鬼は背中合わせに立っていた。
鬼が素早く振り返り、再び獲物を肉塊に変えるべく攻撃を仕掛けようとした…が、
「っ!?」
鬼の巨眼がさらに大きく見開かれる。
拳を打ち込もうとしてもできない。
爪で切り裂こうとしてもできるはずがない。
何故なら自分の右肩には、在るべきはずの腕が付いていなかったのだから。
祐一が擦れ違い様に片腕を斬り落としたことに、鬼はこの瞬間まで気づかなかった。
「ガアアアァァァァァ!!」
鬼の絶叫が結界に包まれた夜の商店街に響き渡る。
左手で傷口を押さえるが意味はない。
失った右腕の付け根から、鮮血が後から後から溢れ出てくる。
「…すぐ楽にしてやる」
その姿を見ながら、祐一は眉一つ動かさず呟いた。
鬼は自分の獲物…いや、目の前に立つ何かの瞳を見る。
そして、もはや自分こそが相手の獲物であることを悟った。
恐怖に駆られ、祐一から離れようとし、そしてすぐに脚が動かないことに気がつく。
ギシッ
見下ろすと、両脚が氷で覆われ、地面に張り付いている。
ギシッギシッギシッ
鬼気迫る形相で、必死に力を入れても氷は砕けない。
「無駄だ、それは俺の理力で生んだ戒めだ。破れやしないさ」
祐一はそう言い、力強く地面を蹴った。
鬼は自分の頭上で白く輝く刀身を、思わず見詰めてしまう。
それが己に死をもたらす物と分かっていても、目が離せない。
「破!」
凄絶な気合いが、祐一の喉から発せられた。
同時に彼が持つ刀が霞む。
鬼はその軌跡を追うことができなかった。
頭頂から股間まで、一線に両断された鬼は、ただ、猛烈な寒気が皮膚の下で起こったことを感じた。
それがその妖魔の最後の知覚したものだった。
「…終りだ」
祐一が呟くと、二つに裂けた鬼の体内から、いく本もの氷柱が突き出てくる。
ピキピキピキ
斬断された巨体が、徐々に氷に蝕まれていき、
パリンッ……
砕けた後には、全てが風に流され消えてしまった。
全てが幻だったかのごとく、消えてしまった。
「理力(フォース)?」
「そうだ、〈理想を現実にする力〉だ」
「…魔法みたいなもの?」
「そんなところだな。もうひとつ理術ってのもあるが、まあ似たようなものだ」
「…………」
「そして驚け、父さんも母さんも、そのふたつを使えるのだ!」
「ふ〜ん」
「……リアクション薄いな」
「そう?」
「普通もっと驚くだろ。親が二人とも超能力者だって聞いたら」
「自分が超能力者だってことの方が、よっぽど驚きだよ」
「……そうか」
「大体、こんな変なチカラの名前まで知ってて、自分は使えませんってことないと思うけど」
「そんなことないぞ。世の中にはそんな人も大勢いる」
「へぇ〜」
「ま、それは兎も角として……祐一」
「なに?」
「そのチカラ、使えるようになるか、使はないようになるか、どっちにする?」
「どっちもなにも、使えてるし」
「いや、お前のはまだ、制御しきれなくてチカラが外に溢れているだけだ。それをきちんと制御できるようになるのは、それほど難しくは
ない。だが、制御した上で自在に使うとなると、容易くはない」
「……このチカラ、使えたらいいことあるの?」
「いいこともあれば悪いこともある。ま、そんなものなくたって生きていけるし、他の人間に知られたら化け物扱いされるかもな」
「じゃあ…」
「でも、そのチカラがあるおかげでできることもある」
「……できること?」
「そうだな……例えば………」
「怪物退治とか」
「…7年…か」
帰り道、祐一は自分が狩人となった日のことを思い出していた。
7年前、水瀬家から実家に戻ってすぐ、祐一は自分がそれまでになかった奇妙なチカラを持っていることに気がついた。
それはすぐさま両親にも知られるところとなり、翌日からそのチカラの制御法を徹底的に教え込まれた。
それまで父母の仕事を知らなかった祐一は、二人が狩人であること、さらに妖魔の存在を聞かさた。
そして、祐一は選んだ。
狩人になることを。
「……その後は地獄だったけどな…」
思い出したくない記憶まで呼び起こしそうになり、思わず身を震わせる。
「…7年…か」
もう一度呟く。
思い出したい記憶は、相変わらず眠ったままだ。
【理用者(ユーザー)】と呼ばれる人間がいる。
彼らは他の人間にはない特殊なチカラを持っている。
即ち、〈理を操る技術〉たる【理術(スペル)】、
あるいは、〈理想を現実にする力〉たる【理力(フォース)】を持つ者。
そのチカラによって引き起こされる現象は、それを用いる人間によって異なる。
光や熱を操る、相手に呪いを掛ける、傷を癒すなど様々だ。
人々はチカラを持つ人間を、畏怖と共に【理用者】と呼ぶようになる。
人は理用者を恐れ、殺し、あるいは利用した。
理用者はチカラを隠して生きる者、チカラを行使して生きる者、己のチカラを呪い、自ら命を絶つ者など様々だった。
やがて多くの人間が彼らのチカラを見なくなるにつれ、人々はその存在を忘れていった。
だが、理用者はこの世界からいなくなったわけではない。
彼は、その一人だった。