ニブルヘイム





我々は 何処へゆく
血潮にまみれ 死肉を貪り 何を成す
心を殺し 誇りを失い 何を望む
答える者は 何処にもいない










第七話「獣魂」





 燃え盛る車、逃げ惑う群集。


 状況を述べるアナウンサーの声にも、確かな怯えが混じっている。

 テレビ画面に映し出されるそれらの光景を、三人は食い入るように見つめていた。


「……パトカーが爆発した……あれは……?」

 突然の惨劇に、早人の思考は追いついていない。

 ただ唖然となるばかり。


 紗百合の呼びかけでこの部屋に戻ってきてすぐに、今の光景を見せられたのである。


「“赤輪眼”だ……」

 水城は呟いた。

 その顔には明らかな苛立ちが浮かんでいる。


「最高幹部の誰かが動くとは思ったが……まさか奴が出てくるとはな……」
 
 一人状況を把握した風な口振りの彼に、早人と紗百合の視線が向けられた。


「何か知っているんですか? 今のが敵の攻撃だとでも……?」
 
 早人と違い、紗百合の表情は落ち着いている。

 流石に幾度も修羅場を潜ってきてはいない。


「ああ、今のはニブルへイム最高幹部……“レオ”の力だ」
 
 早人は顔を強張らせ、紗百合は眼光の鋭さを増した。


 最高幹部……確かに刺客が差し向けられることは予期していたが、それは新たなゾルダートの集団程度だと思っていた。

 まさかこんな早くに、敵の中枢部の者が動くとは、二人とも思わなかったのだ。

 
 もっとも紗百合にとっては、それは望んでいたことでもある。


「どういう人物なのですか、その“レオ”というのは? 知っていることを教えて下さい」

 強大な敵の存在を知っても、冷静さは失わない。
 
 僅かでも敵の情報を聞き出し、それを出来うる限り分析しようとしている。

 その姿勢は水城も感心できた。


 暫しの間黙考すると、早人にも分かるレベルで説明を始める。


「黄道十二星座があるだろう。誕生日とかに使われるあれだ。その称号をもつ奴らが、ニブルへイムの王を守護する最高位の戦士たちだ」

 水城の話はこうだった。

 
 全八十八ある星座の中でも、太陽の軌道上に存在する黄道十二星座は古来より特別な位置付けにある。

 ニブルへイムにおいても同様で、それらの称号は最高権力者“天帝”に次ぐ権威の象徴だった。

 
 だが、ニブルへイムは結成されてからそう長くない若い組織だ。

 未だ人員不足は否めず、八十八の称号も、その多くが空位となっている。
 

 それは最高幹部においても例外ではない。

 一時は七人まで揃ったらしいが、一人が抜けたため現在では六人となっていた。
 

 すなわち


“アリエス”(牡羊座)

“レオ”(獅子座)

“タウルス”(牡牛座)

“ビスケス”(魚座)

“ジェミニ”(双子座)

“カンケル”(蟹座)


 の六人だ。


 この六人が形成する最高幹部会を“セクステル”と呼ぶ。


 そしてセクステル・クラスの者には“天帝”より、ニブルへイム最高位のアーティファクト“魔眼”が与えられている。

 中でも獅子座の“赤輪眼”は、最高の戦闘力をもつ破壊兵器として名高い。


「奴の“赤輪眼”はどういう原理か知らないが、術者が見た場所を爆破する能力を備えてる。予備動作を必要とせず、攻撃の軌跡もない、不可視の力だ」

 直接会ったことはないが、彼はレオの風聞をよく耳にしている。

 ニブルへイムにいた当時、直接の上司だったアリエスがレオと親交が深かったからだ。


「俺の部隊のリーダーだったアリエスはこう言ってた……今のニブルへイムで最強を誇るのは、間違いなく奴だってな」
 
 牡羊座の戦士、アリエスの強さは嫌というほど知っている。

 あの凶悪な能力には、自分はどうあがいても勝てる気がしない。


 それほどの者が自らを差し置いて“最強”と呼ぶ男なら、その実力は計り知れないものだろう。
 
 実際、先程見た映像の衝撃は、その認識を深めるのに充分なものだった。
  

 室内に、暫し沈黙が訪れた。

 
 予想外に強大な敵の出現に、皆重い面持ちとなる。
 
 数少ない情報から必死に現状を把握し、今後とるべき行動を思案していた。
 

 最初に口を開いたのは早人だった。


「そのレオが、あんなところを占拠してるテログループの一員ってことは……これは、ぼくたちをおびき寄せる罠だって考えていいんだよね……?」

「そうですね。グループの内訳は、配下のゾルダートや霊獣といったところですか……私たちが現れるまで連中はあそこを占拠し続け、邪魔な警察などは実力で排除し続ける気でしょうね。……今のように」

 紗百合が補足する。


 確かにニブルへイムの幹部が、単純にテロ行動に走ったとは思えない。

 これは、こちらをおびき寄せるためのお膳立てだと考えるほうが自然だ。
 

 早人は覚悟を決めた面持ちになる。


「罠だってわかってても、行くしかないよね。行こう!」

 身を翻し、先頭をきって歩き出そうとした。

 しかしその覚悟を、背後からの声が鈍らせる。


「俺は反対だ」

 水城は無表情にこちらを見据えていた。


「今回は相手が悪すぎる。人質になった連中には悪いが、ここは敵の誘いを無視して次の機会を待つべきだ」

「で、でも……」

「敵は“見る”だけで相手を爆破できるって化け物だ。……そんな奴相手にどう闘う? 少なくとも、俺は勝てる気がしない」

 有無を言わさぬ口調だった。


 彼は単純に敵に怯えているわけではない。

 現在の予想される敵味方の戦力差を比較して、退くほうが正しいと判断しているのだ。


 それは幾多の死線を潜ってきたものの、冷静な判断と言えた。


「しかも連中は俺らが来ることを想定してあの建物に兵を配備してる。こっちは敵の要塞に殴りこむようなもんだ。まず勝ち目はない」

 早人は言い返せなかった。


 水城の言っていることは、ある意味正しい。

 ただでさえ力量が上の相手が、罠をはって待ち伏せしているであろう建物に飛び込んだら、犬死には必至だ。


 たが、早人は納得することができなかった。


 自身の誇りか、それとも正義感ゆえなのか、それはわからない。

 自分たちのせいで殺されるかもしれない人々を見捨てて、ただ逃げるようなまねはしたくなかった。


「先生はどう思う?」

 紗百合に意見を求める。

 彼女の返答により、今後の方針を決めるつもりだった。


 そして紗百合の顔には、早人のような迷いは微塵も浮かんでいなかった。


「行きましょう。どうせここで退いても、連中が手を緩めるとは思えません。むしろ、何が何でも私達をあぶり出すためにより過激な行動に移るでしょう。そうなったら、取り返しのつかない被害が出ることになります」

 早人の表情が明るくなった。

 臆することなく勇気ある決断をしてくれる仲間がいたことが、素直に嬉しかった。


 一方で、紗百合の胸中は複雑だった。


 彼女とて、闘うのはできるだけ勝算の高い時にしたい。

 その観点から見ると、今回は退いたほうが正解であることは明らかだ。


 しかし自分に残された時間は少ない……


 ここで敵を倒せなければ、次の機会まで闘う力を温存していられる保障はない。

 その一点こそが、彼女を駆り立てる理由だった。


 しかしそんな思いは表面に出さず、静かな眼で水城を見る。


「これで二体一ですね」

 水城は暫し忌々しそうに顔をしかめていたが、やがて仕方なさそうに嘆息した。


「言っとくが、マジでやばくなったら俺は逃げるからな」

 こうして、三人は敵地へと出撃していった。





 陽光降り注ぐ時は白亜に輝く外観も、日が沈めばただ闇色に染まるのみ。


 天空宮“エリューズニル”

 浮遊大陸ニブルヘイムの中枢にして、最高権力者“天帝”の住まう宮殿である。


 最上階、“謁見の間”。

 文字通り、天帝が臣下とまみえるための場所である。


 床には白と黒のモザイク模様が描かれ、天井に備え付けられた半球状の照明装置が青白い光を放ち、部屋中を淡く照らしている。

 最奥部には人の身長を越える高い台座が存在し、その上には天帝の座する白銀の玉座が置かれていた。
 

 今そこに、四人の人影が集っていた。

 霊獣とゾルダートを束ね、組織の実質的管理を担う最高幹部達。


 人は彼らを“セクステル”と呼ぶ。


「配下のゾルダート全員に、霊獣大小合わせて三十五体か……レオの奴め、随分と派手に暴れだしたものだな」

 人影の一人がしわがれた声を発した。

 四方に十字を描いて立つ四人の中で、彼は玉座の真下にあたる位置に立っている。


 セクステルの長老、“カンケル”だ。


 組織結成時から最高幹部に名を連ね、組織発展に尽力した人物である。

 組織の最古参である彼は、セクステルの指導者的立場に置かれていた。


「あれほど目立つ行いは慎めと言ったというに……痴れ者めが」

 吐き捨てるように言った。


 彼がレオの行動を非難するのは、今に始まったことではない。

 対立関係を言うほど表立ってはいないが、彼がレオの存在を快く思っていないことは周知の事実だった。


 その真正面、入り口側に立つアリエスは僅かに眼を細める。


 カンケルを相手に、どう言い繕ったところで無駄なことは承知している。

 それでもアリエスは、友の名誉を保つため弁明をしておいた。


「彼が動くことになった原因は、私の失態ゆえだ。叱責なら私が受けよう」

 自分が情に厚いなどとは露ほども思っていないアリエスだが、レオのことは心から友だと思っている。

 少なくとも、この場に居合わせる他の三人よりは、あの男のほうが信頼も尊敬もできた。


「相変わらずの仲良しこよしよな。実に微笑ましいわ」
 
 左側に立つ人影が、若い女の声を発した。

 彼女は“ビスケス”だ。


「傷を舐め合うのは勝手じゃが、あまり肩入れせぬほうが身のためかもしれぬぞ。あ奴は遊びの限度を知らぬ上に、自惚れが激しい。敵に足元をすくわれねばよいがな」

「……」

 アリエスは一瞥をくれただけで、何の表情も浮かべなかった。


 ビスケスもまた、レオによい感情を抱いていない。

 というより彼女にとって、己以外の存在は全て唾棄すべき存在なのだろう。


 美しい声音が示す通り、ビスケスの容貌は妖艶にして美麗。

 一度眼にすれば、誰もが心奪われるであろう美しさを誇っている。

 
 だがその性根は、外見の美しさを霧散させるのに充分なものだった。


 性格は毒舌家で皮肉屋。

 組織の構成員にも、彼女を忌み嫌う者は多い。
  

 それを承知のアリエスはあえて言い返そうとはしない。


 言いたい者には言わせておけばいい。

 何より無用な諍いは嫌いだ。
 

 そう思っていると、別の者が発言した。


「わかってねえな。おめえもよ」

 太い声を発したのは、ビスケスの対角線上に立つ一際大きな人影だった。

 牡牛座の称号にそぐわぬ体躯の持ち主、“タウルス”だ。


「あいつは馬鹿を装うのが好きだが、その実頭も切れる。それによく見てみな、あの野郎に隙なんざ微塵もねえよ」

 口調は粗野だが、言葉の端々には知性の片鱗が覗える。

 彼はゾルダート時代に上げた数々の武功によりセクステルに引き上げられた組織有数の武闘派だが、組織の管理、指揮能力に長けた知将でもあった。


 対して、一転して不機嫌となったビスケスは柳眉をつり上げる。


「妾を愚弄する気か、小童が」
 
 それはまだ威嚇の域だったが、相手の返答次第では殺意と化す可能性も秘めていた。


 人一倍プライドの高い彼女は、侮辱されることをひどく嫌う。

 自身の気分を害する者には、部下でも同胞でも容赦はない。


「そうカッカすんなよ。俺が言いてえのは、野郎の好きにさせとけば問題はねえってことさ」

 タウルスがさらりと受け流すと、毒気を抜かれたビスケスはそれ以上言及してはこなかった。

 かわりにアリエスが再び発言する。


「その点に関心しては同感だ。加えて彼の配下は私のそれとは異なり、より洗練された戦闘型アーティファクトを装備し、訓練と経験を積んだ実戦部隊だ。任せておいて問題はないだろう」

 それば誇張のない事実だ。


 数日前倒されたアリエス指揮下の面々も決して非力ではなかったが、彼らは偵察などを主とした斥候部隊としての色合いが強かった。

 対して、レオの部隊は純粋な戦闘集団だ。

 
 二人の意見を受け、議長役のカンケルも一応の納得を見せた。


「まあよい。結果として敵を殲滅できるなら、方法の巧拙は不問としよう」

 作戦の合理性はともかく、邪魔者の排除という目的においてレオとその配下ほど適任な集団はない。

 その点において、異論を唱える者はいなかった。


「これ以上、我が組織の戦力を削ぐわけにはいかぬ。邪魔者は全て排除しておかねばならぬのだ」
 
 三人の眼に、それぞれの思いが宿り、それぞれの眼差しを見せた。


 次にカンケルが発する言葉。

 それは既に分かりきっている。


「陛下が“再誕”なさるその時までな」

 彼らを見下ろす位置に置かれる玉座。

 今そこに、座する者はいない。





 渇いた音とともに、マンホールの蓋が開く。

 そこからモグラのように出てきた銀髪の頭は、一通り周囲を見回すと、視線を下に向けた。


「大丈夫。行こう」

 梯子をつたい、早人、水城、紗百合の順に地上に姿を現す。


 百貨店の周りは既に警官が包囲しているため、彼らは下水道という地下の道を通って侵入を試みたのだ。

 ちなみに、発案者は紗百合である。


「やれやれ……最高にセコい登場シーンだな。できればもっとまともな……いや、清潔な道を通って来たかった」

 元から乗り気でない水城は、うんざりしたように愚痴をこぼす。


「車をとばして群集をどかしながら正面突入……という手も考えましたが、そちらのほうがよかったですか?」

「……」

 皮肉ではなく、本気で言っているところが彼女らしい。


 水城は、眼前の女に知略の二文字を期待してしまった己の不明を恥じた。
 
 ともあれ、一応建物内に潜入するという目的は果たしたようだ。


 周囲の風景を眺めると、ここが屋内の駐車場であることがわかった。


 薄汚れたコンクリートに一面を覆われた灰暗い空間。

 客も逃げる最中に車を回収する余裕はなかったのだろう、まだ多くの車両が残されている。


「まあ何はともあれ……何とか敵に見つらずにレオのとこまでいければいいんだけどな……」

 真っ向勝負では勝ち目は薄くとも、潜入による暗殺なら僅かながら勝機はある。


 何とか敵の目をかいくぐり、敵の大将の首をとる。

 それが水城の望む形だった。

 
 だがその淡い望みは、あっさりと断たれる。


「どうやら……そう上手くもいかないみたいですよ」
 
 紗百合が口を開いた直後に、複数の足音が聞こえてきた。
 

 薄闇の中から現れたその者達は、格好も年齢もばらばらな男たちだった。

 派手な装いの若者もいれば、スーツ姿や中年もいる。


 彼らは外見にそぐわぬ統一された動きで、三人の周囲をとり囲む。


「ごめん……全然大丈夫じゃなかったね」

 早人が言うと、水城は疲れた声で返した。


「いいさ。こうなることも予想の内だ」

 彼らをとりまく男たちの顔に、生気はない。

 能面のような顔を並べ、空ろな眼で三人を見ていた。


「お前ら、警察じゃないな」

「こいつらが例の敵か」

「ガキと女か。脆そうだな」

 男たちは口々に思い思いの台詞を口にする。

 早人は傍らの水城に聞いた。


「こいつら、人間?」

「いや、ニブルへイムに普通の人間の兵隊はいない。つまりこいつらは……」

 その言葉が終わらぬ内に、男たちは変異を始めた。


 ある者は頭が割れ、ある者は胴が裂け、ある者は背が丸ごと剥がれ落ちる。

 そして中から血飛沫とともに白いものが這い出してくる。


 二十人以上の者達が一斉に血生臭い変貌を遂げていく様は、気の弱い者なら卒倒しかねない光景だった。
 

 やがて数多の死肉を床に撒き散らし、異形の怪物たちが姿を現す。
 
 人の皮を被った霊獣の群れ、それが男たちの正体だ。


「……ってわけだ」

 冷静な表情で、水城は言った。


 一方で紗百合は、早人の横顔を盗み見る。


 静かな表情だった。

 見苦しい驚愕や恐怖も、無駄な憤りも浮かべていない。

 ただ眼に映る光景を自然なものとして受け止めている、そんな顔だった。
 

 それを見て、紗百合は少しだけ早人の成長を感じた。
 

 この霊獣たちのために犠牲になったであろう死者たちを目にし、何も感じないわけではないだろうが、それを見事に内面に押し止めている。

 外面に現れているのは、冷静で隙の無い気配のみ。


 それは幾度の危機を経験して、彼が精神的に強くなった証だ。

 少なくとも、この程度のことで心を乱しているようでは、この先生きてはいけない。


「来るよ」

 早人が言った直後、霊獣たちは動いた。

 一矢乱れぬ動きで三人に襲い掛かってゆく。


 水城は刀の鯉口を切り、紗百合は右手に手裏剣を用意し、早人は懐から取り出したアーティファクトを発動し、銀の巨砲を顕現させた。

 行動に移る直前、紗百合は早人に忠告する。


「分かってると思いますが、こんなところで無駄撃ちしてはいけませんよ」

「うん」

 この短い会話で、互いの意思は通じ合った。


 最初に動いたのは水城だ。


 高速無音移動術“仙流”の力をもって、自ら敵の群れに飛び込んでゆく。

 そして移動速度を保ったまま、白刃を閃かせた。

 
 数に勝る側が有利である最大の理由は、標的を一度にさまざまな方向から攻撃できる点だ。

 ならば絶えず高速移動を続け、攻撃の照準を合わせづらくさせ、相手に連携をさせないようにすればいい。


 並み居る霊獣の僅かな隙間を、流れるように優雅に抜けていく。

 そして彼が通り過ぎるたびに、その軌道上に位置する霊獣の体は裂かれていった。

 
 冷笑を浮かべながら剣を振るうのは、彼の一種の癖といえる。
 

 一方で早人は、最初の位置からほとんど動かなかった。

 彼には、水城のような敵を翻弄できる速さはない。


 下手に動き回るだけ、体力の無駄というものだ。
 
 当然、一度に複数の襲撃をうける。


 だが、対抗する術はあった。
 

 傍らに浮かぶ、自らの分身に思念をこめる。

 巨砲は主の命に従い、その身を躍動させた。


 長く太く分厚い体を回転させ、主に襲い来る敵を一瞬で薙ぎ払う。
  
 数百キロはあるであろう物体の、加速のついた打撃を受け、霊獣たちは一撃で絶命した。
 

 射撃では手数の少なさという弱点を抱える早人の巨砲だが、接近戦では別の使い方がある。

 その硬さと重さを生かして、鈍器として使用することだ。


 そんな真似ができるのは、巨砲のもつ自己浮遊能力の賜物である。

 主が筋力で支えているわけではないので、高速で自由自在に振り回すことができ、また体力の消耗も少ない。


 特訓の最中に発案した使用方法だった。
 

 背後から、残りの霊獣が襲い来る。

 今度は巨砲を自らの背後に移動させ、盾とする。


 攻撃を受け止めた直後に、反撃として身を縦にして相手の腹を突き飛ばす。

 このように、巨砲は盾としても使える。


 本体が動かずとも好きな位置に移動してくれる盾は、刻星眼であらゆる角度からの攻撃を察知できる早人とは相性が抜群だった。


 そして紗百合はというと……前後左右からくる敵の攻撃を軽やかな動きでかわしていた。

 敵が追撃を仕掛けると、それも難なくかわした。


 その次も、またかわす。
 
 その次も、その繰り返し。
 

 ……というより、それしかしていなかった。
 

 ともあれ、霊獣の群れとの戦闘は早人たちが圧倒的に優勢だった。

 ものの数分で、二十体以上いた異形の者たちは残らず倒れることとなった。


「さて、まずは第一関門クリアですね。先に進みましょう」

 澄ましで言う紗百合に、早人と水城の胡乱げな視線が向けられる。


「どうしたんです?」

「なんか……今、あんただけ何もしてなかったように見えたのは気のせいか……?」

「敵の攻撃を必死に避けてましたよ」

 澄まし顔を崩さず、ぬけぬけと言う。


「いや、攻撃とか……」

「キミたちの活躍がめざましいので、私は控えさせていただきました」

「……よーするに、サボってたってこと?」

 まさにその通りである。


「省エネですよ、省エネ」

 人が命がけで闘ってたというのに、何をぬかしやがるんだこのアマは……という感想を、二人は顔面の筋肉全体を使って表現した。

 何はともあれ先に進もうと歩きだした三人だったが、すぐにその歩みは止まることになる。


「ぬ……ぐうっ……」

 背後から聞こえる、短い呻き。

 三人が視線を向けると、そこには一匹だけ、未だ息のある霊獣がいた。

 
 とはいえ既に右腕を失い、肩口から腹にかけて深い傷を負っている。

 もはや虫の息だ。
 

 たが眼だけは生気を失っておらず、鋭い殺気を三人に向けていた。


「まだだ……まだ終わらない……」

 おぼつかない足取りながら、歯を食いしばって立ち上がる。

 その様は、どこか悲壮感の漂うものだった。


「驚いたな、まだ立ち上がる奴がいたとは」
 
 敵の執念に感嘆する水城。

 もっとも表情は冷淡で、手を抜く気は毛頭無い。


「早人、止め刺してやれ」

「……うん」
 
 早人は頷き、巨砲を構える。


「負けて……負けてたまるか……お前らなどに……!」

 残された力を振り絞り、霊獣は突攻をかける。


 だが半死人の攻撃など、巨砲を一振りするだけで充分だった。

 巨体はあえなく横ばいに倒れる。


 なおも立ち上がろうとするその頭に、銀の砲身が向けられた。


「何か言い残すことは?」

 勝ち目がないことを悟ったのか、霊獣の返答は思いのほか潔かった。


「何も無い、さっさと殺せ」

 心までは屈しないとばかりに、鋭い眼差しでこちらを見返している。

 恐怖を微塵も感じさせない、強い眼だ。


 それを、早人は静かに見据えていた。


「……やめよう」

 銀の砲身が、静かに下ろされる。


「逃げなよ。追ったりしないから」

 その言葉に驚愕したのは霊獣だけでなく、紗百合と水城も同様だった。

 自分を殺そうとした化け物を逃がすなど、到底理解できることではない。


「ふざけるな! 同情なんぞいるか、早く殺せ!」

 霊獣は激しく反発した。


 もとより、死を覚悟でこの闘いに臨んだのだ。

 敵の情けにすがってまで、永らえようとは思わない。

 
 それでも、早人の決断が変わることはない。


「なんでだろう……よくわからないや」

 自分の思ったこと、感じたことを、嘘偽りなく口にする。


「あなたは他の奴らとはどこか違う気がする。あなたの目を見たら……撃ちたくない……そんな気がしたから」

「……」

 霊獣も、紗百合も、水城も……皆が言葉を失った。


 静かな時が流れる中、霊獣は立ち上がる。

 殺気はすでに消えていた。


「俺は……」

 彼が何かを言おうとした時、早人の視界の隅に異変が起きた。

 霊獣の後方から迫り来る、銀の一閃。


「危ないっ!」

 叫んだときには、遅かった。


 銀の一閃は霊獣の腹を貫き、直線軌道上にある早人までも餌食にしようとする。

 早人は巨砲を盾にすることで防いだ。


 飛び道具か。


 一瞬そう思ったが、事実は違った。

 敵を仕留め損ねた一閃は霊獣の腹から引き抜かれ、後方へと戻っていく。


 その先にいるのは、一人の男。


「フフン、よく受けたネ。まんざら素人でもないってわけか」

 握られる得物は、異様に長い鞭だった。

 銀色の金属でつくられたそれは、柄から先を甲殻類を思わせる数多の節に覆われ、先端は槍のように鋭くなっている。


 そしてその主は、常軌を逸した格好の男だった。


「ボクは“ムスカ”(蝿座)の称号をもつ者。レオ様の命により、キミたちを消しにきたヨ」

 顔全体を覆う、不気味な面相の描かれた覆面。

 派手な色調の服。

 先端が大きく湾曲した靴。


 この男の装いを見て、誰もが感じることは一つしかない。


 ピエロ、と。


 突然の来訪者に、三つの視線が向けられる。


「お前……自分の仲間を……!」

 早人は怒りをこめてムスカを睨みつけた。

 ムスカは飄々と答える。


「仲間……? これは心外だネ。栄えあるレオ部隊の一員たるボクが、そんなクズと同列に見られていたとは」

 道化の覆面のせいで表情は見えない。

 だがはっきりとわかった。
 

 笑っている、と。


「所詮、そいつら霊獣は魂を集めてくるしか能のない下っ端共。図体がでかいばっかで、今みたいに戦闘に使っても、糞の役にも立ちゃしない」

 自らの部下を侮蔑的に見下ろし、吐き捨てるように言った。


「あ…ぐっ……」

 貫かれた霊獣は地に伏しながらも、まだ生きていた。

 だがその苦悶の表情から、もはやその命が長くないことは明白だ。


「いつまでも未練がましく生きてるんじゃない。目障りなんだヨ」

 止めを刺すため、霊獣めがけて鞭を振るった。

 うなりを上げ、鞭の先端は霊獣の命を刈り取ろうとする。
 

 それを遮ったのは、間に割り込んだ巨砲だった。

 甲高い音とともに、鞭は弾き返される。


「目障りなのは、お前だ」

 早人の眼は、静かな怒りを湛えていた。


 霊獣に深い想い入れはない。

 だが自分の仲間を平然と侮蔑し、あまつさえ殺そうとするような行為は、見過ごせるものではなかった。

 
 ムスカは、面の下で鼻を鳴らす。


「どうでもいいがお前、その鞭一つで俺ら三人を相手にできると思ってるお馬鹿さんかい?」

 水城が嘲笑を浮かべて言った。

 ムスカは嘲笑をもって返す。


「まさか。ボクは慎重だからね。いくら相手がキミらみたいな雑魚とはいえ、手は抜かないさ」
 
 鞭で床を強く叩く。

 それが合図だった。


 早人たちの背後の天井が、突如音を立てて崩れた。

 大小の破片が床に散らばり、反射的に三人が身を翻す。
 

 そこに立っていたのは、異形の魔物だった。
 

 縦も横も人の倍近くある巨漢。

 皮膚のない、剥き出しの体。

 異常な程発達し、異形の域に達した筋肉。
 

 そしてなにより異様なのは、その頭は半球状に盛り上がった肉の塊があるのみで、顔と呼べる部分がないことだ。

 代わりに胴体には、人間の顔が無数にあった。

 そのどれもが、今わの際のような苦悶の表情を浮かべている。


 それは霊獣のようで、明らかに似て非なる存在。


「改造型霊獣“ガルム”。上層部から賜ったボクのペットさ」





 四階の飲食街の一角、小洒落た洋食店。


 武装集団の占領下にある今となっては、人気などあるはずもない。

 だが、今だけは例外だった。


 武装集団を束ねる男が、我が物顔でテーブルの一つを陣取っていたのだ。

 厨房からもってきたワインと料理を並べ、優雅にディナーと洒落込んでいる。
 

 その傍らに行儀よく立つエリダヌスは、自分がウェイトレスか、もしくはメイドか何かのように思えてしまった。

 無論、不本意である。


「ふむ、つまみは悪くない。これで上等なブランデーがあれば言うことなかったんだがな」
 
 そう言いながらレオは、代用品のワインを口に運ぶ。


 長い足を組んで椅子に腰掛けグラスを傾ける姿は、秀麗な容貌とあいまって様になっている。

 もっとも、そんなことはどうでもいいエリダヌスには、単なるキザ野朗にしか見えなかったが。


「よくこの状況で呑気に食べれますね」

 冷めた眼で皮肉る。

 しかし、その程度でレオの笑みが消えることはない。


「いついかなる時も、平常心を保つことは重要だよ。もっとも……俺の場合は平常心以前の問題だと、アリエスの奴に言われたがね」

 それはそうだろう、と内心でアリエスに同意しておくエリダヌスだった。


 このレオという男、指揮官としてはあまりにマイペースすぎる。

 その上、ひどく自分勝手だ。


 伊達や酔狂を好み、任務達成の効率よりも自分の楽しみを優先する。

 お世辞にも、指揮官に向いた人物とは思えない。
 

 だが彼の率いる部隊において、彼がリーダーであることに不満を唱える者は皆無だった。
 
 その並外れた戦闘力のためもある。


 だがそれ以上の要因は、この男のもつ独特の魅力にあった。
 

 この男には、なぜか群れのリーダーの座がよく似合う。

 獣の群れの長のように、ただ居るだけで皆を支配下に置く不思議な力を備えている。

 その不思議なカリスマは、エリダヌスも密かに感じずにはいられなかった。

 
 そんな彼女の思考を知ってか知らずか、レオは用意していた空のグラスを差し出した。


「お前も飲まないか? せっかくの貸切なんだ、乾杯しようぜ」

「いりません」

 エリダヌスはきっぱり断った。


 酒を飲んだことはないし、これからも飲む気はない。

 その辺りについては、彼女は潔癖だった。


 ここぞとばかりに、レオの顔に意地の悪い笑みが浮かぶ。


「フフ……お子様にはまだ早いか」
 
 その言葉に、エリダヌスはカチンときた。

 それは行動によって示される。

 
 酒瓶からグラスに赤い液体をどくどくと注ぎ、一気に飲み干す。

 そして乱暴に、グラスをテーブルに叩きつけるように置いた。
 

 慣れないアルコールを一気に摂取したことで、少々目眩がきている。

 
 その様子を見て、レオは可笑しそうに肩を震わせて笑った。

 少女の意地っ張りな態度が、可愛いらしくてたまらないといった様子だ。

 
 ほんのり赤みを帯びた顔で、エリダヌスはレオを観察するように見つめる。


 こうして自分をからかって楽しんでいるところだけ見ると、ごく普通の……少々性格の悪い……青年にしか見えない。

 だがこの男は紛れもなく、獅子座の称号を冠するニブルへイム随一の戦士だ。


 先程見たあの“赤輪眼”の力から、それが確信できた。


「……」

 この男の本名を、エリダヌスは知らない。

 出自も、組織に入る以前の経歴も。


 だが彼が“レオ”の座についた経緯は有名だった。

 組織内なら、知らぬ者のないほどに。



 この男は、“奴隷”だった。


 霊獣によって命を奪われた者は、大概ニブルへイム存続のための生贄にされる。

 だが稀に、魂を抜き取られニブルへイムに連れて行かれる者もいる。


 そういった者達は生贄にされる代わりに、ニブルへイムの奥地に幽閉され、強制労働を強いられる。

 これが“奴隷”と呼ばれる者達だ。
  

 階級は霊獣以下。


 組織の最下層に位置する、自由なき弱者。
 
 ニブルへイムには、そんな者達が今でも数多く存在している。
 

 だがそんな中で、アーティファクトを扱う才能を上層部に認められ、自由と権力を手にした者がいた。
 
 組織結成以来、奴隷から最高幹部にまで昇りつめたのは、この男ただ一人しかいない。

 
 ゆえに多くの者は、羨望と憧憬の眼差しでレオを見る。

 彼らにとってレオは崇拝すべき先駆者であり、下克上の象徴だった。


「レオ様! レオ様!」

 伝令役の小型霊獣が、あわてた様子で飛んできた。

 しきりに羽をばたつかせていることからも、その動揺ぶりが覗える。


「例の三人が姿を現しました! 現在駐車場でムスカ様が交戦中です!」

「ほう、思ったより早かったな。正義感溢れて関心なことだ。ほらなエリ、ちゃんと俺の狙い通りになったろ?」
 
 レオの言葉を無視する形で、エリダヌスは歩を進めていた。


「どこ行く気かな?」

「ムスカの援護に向かいます。敵の力量が知れない以上、彼一人に任せておくのは危険ですから」

「まあそう言うな。ムスカの奴としては、上手く手柄を一人占めして出世の蔓を掴みたいってのが本音だろ? 好きにさせてやれよ。それに、ガルムもつけてあるんだ。勝算はけっこうあるだろ」


「しかし……」

 反論しようとするエリダヌスを諭すように、レオは言った。


「俺はな、まずその三人とやらを試してみたいんだ。ムスカが片付けてくれるならそれでよし。奴とガルムを倒すようなら……それはそれで面白い」

 およそ一軍の将とは思えない台詞だ。

 この男にとってはこの闘いも、遊びの一環に過ぎないのだろうか。


「だから命令だエリ、お前はまだ動くな。俺のディナーにつきあえ」

 そう言われてしまえば、エリダヌスは足を止める他なかった。


 表面上がどうであろうと、基本的にこの二人が主従関係であることに変わりはない。

 全ての決定権はレオにある。


「そう深刻に考えるなよ。たとえ状況がどう転ぼうがこっちには……」

 唇を僅かに開き、穏やかに笑いかける。

 見る者を戦慄させ、魅了する、美しき微笑。


「この、俺がいる」

 それは、揺ぎ無き自信。
 

 頂点を極めた「己」への、確かな信頼。





 一閃。


 水城の一太刀が、ガルムの脇腹に食い込んだ。


「くっ……!」

 表情を歪めたのは水城の方だった。


 斬撃は命中したものの、刃は分厚い肉に阻まれ、斬り抜くことができない。


 頭上から反撃の拳が襲う。

 仕方なく刃を引き抜き、後方に跳び退ってかわした。


 かわりに拳打を受けたコンクリートの床は、無残に砕かれる。


(肉が厚すぎて上手く斬れないな……かといって、あのデカブツに打撃が効くとも思えない)

 ならば、肉の薄い部分を狙うまでだ。


 体の末端部分へ損傷を与え、先に戦闘能力を奪っておく。

 その後なら、勝機はいくらでもある。

 
 左手首に狙いをつけ、再度斬撃に移った。


 幸い、速さは自分のほうが遥かに上。

 防御も回避も間に合うタイミングではない。


 だが攻撃は阻害された。

 予期せぬ形の反撃によって。


 左腕から無数の太い針が生えたのだ。

 それらが重なりあい、斬撃を殺していた。


 驚く間もなく、今度は脇腹から三本の槍が突出した。

 水城は急いで後方に退く。


 頬を槍の穂先にかすめ斬られ、赤い血が滴り落ちる。

 役目を終えると、針は左腕の、槍は脇腹の肉の奥に埋まっていった。


(どうやら……ただデカいだけじゃなさそうだな)

 全身凶器。


 今の攻防を見る限り、他の部位にも同様の刃物が仕込んであると見るべきだろう。

 これではうかつに近づくこともできない。

 
 水城を始末するため、ガルムは一歩前に踏み出す。
 
 すると、その足元のコンクリートを破り、何かが出現した。


 生物のように蠢く木の根だ。

 それらは、ガルムの両足を大腿の部分まで絡めとる。


 直後にガルムの右側方から幾本もの茨が伸び、その全身を縛り上げた。

 そう、相手は一人ではない。


 茨にそって視線を伸ばすと、左腕から茨を伸ばす紗百合がいた。


「どんなに危険な体でも、身動きできなければ意味は無いでしょう」

 木の根と茨による二重の束縛だ。


 あらかじめガルムの通るであろう場所を予測して種を仕込んでおき、水城に注意をひかせた上で行動に移るという用意周到さである。

 一度術中に落ちてしまえば、逃れることは困難だ。


 相手が、並みの霊獣ならの話だが。


「オオオォォォ!」

 ガルムの胴体に浮かぶ数多の顔が叫びを上げる。

 それは共鳴するように重なりあい、一つの不気味な雄叫びとなって響き渡った。
 

 全身の筋肉が膨張する。

 ガルムは力任せに無理やり束縛を逃れようとした。
 

 そして、それは実現される。
  
 筋肉の力に負け、茨と木の根は空しく千切れ飛んだ。


(馬鹿力が……!)

 水城が心の中で悪態をつく。


 戒めから逃れたガルムは彼を無視し、攻撃目標を紗百合へと変更した。

 右の掌を向ける。
 

 その行為の意図が分からずとまどう紗百合だが、すぐに答えを知ることになる。

 針や槍と同様に、掌から何かが出現した。
 

 細い円筒形の筒。
  
 それは、火炎放射機だった。

 
 橙色の炎が盛大に吐き出される。

 防御が不可能とみた紗百合は、右に跳んでかわした。
 

 灰暗い空間に、場違いな篝火が荒れ狂った。


「フフ……」

 離れた場所で見物するムスカは、眼前の相手に自慢げに語った。


「あのガルムの体には、大小さまざまな武器が仕込まれている。奴はそれを筋肉の収縮力で自在に出し入れし、神経を接続することで自在に操るのサ」

「……」

「外見はひどいもんだけど性能はなかなかのものだろ? ニブルへイムは、日々新たな可能性を求めてああいう化け物を造り続けてるわけサ。あれは試作品の一体に過ぎない。まだいろいろ問題は多いけれど、少なくともキミらを殺す分には充分事足りる」

 ムスカのすぐ脇を、閃光が走り抜けた。

 後方の床が砕け散り、土煙を舞わせる。


 早人の巨砲は、薄い硝煙を吐き出していた。


「今すぐあいつを止めろ」

 強い眼で睨み、強い口調で命令する。

 だが、ムスカの余裕は揺るがない。


「嫌だと言ったら?」

「殺す」

 早人は即答した。

 しかしまだその眼には、言葉と裏腹の微かな迷いが浮かんでいる。


「クク……」

 主が短く笑うとともに、銀の鞭が動いた。

 眼にも止まらぬ速さで相手の顔面を襲う。


 かろうじて早人の防御は間に合った。

 銀の巨砲が鞭を受け止める。


(速い……!)
 
 先程より、もう一段上の早さだ。

 しかも、本人は腕どころか指一本動かしていないのに、鞭だけが襲ってきている。


「なかなかゴツイ武器だネ。破壊力には結構自信あるんだろ? たが……この蝿座のアーティファクトはボク自身が動かなくとも、その思念を汲み取って勝手に動いてくれる特性をもつ。この間合いなら、ボクの獲物のほうがちょっとばかり速いみたいだヨ」

 早人は奥歯を噛み締めた。


 確かにこの相手の攻撃速度は速い。

 これでは狙いを定めて巨砲を撃つ間がないし、なにより防御だけで精一杯だ。


 この男、態度も格好もふざけているが、伊達にニブルへイムのゾルダートに名を連ねていない。

 自分より、数段闘い慣れした気配を纏っている。


「そしてこれが、こいつのもう一つの使い方」
 
 攻撃が阻まれてなお、長い鞭は動きを止めず、巨砲に絡みつくように伸びていった。

 わずか一瞬で、巨砲はその全身を縛り上げられる。


「なっ……!」

 抵抗する間もなかった。


 縛られたとたんにそれまで浮遊していた巨砲は地に落ち、鞭の力によってムスカ側へ引き寄せられていった。

 いくら思念をこめても、もはや巨砲は微動だにしてくれない。


「早くも勝負ついちゃったネ。これでもう、キミは何も出来ないただのガキだ」

 彼の力は、一言で言うなら“妨害”だ。
 

 束縛したアーティファクトに自らの思念を送り込むことで術者から送られる思念を遮断し、機能を停止させる。
 
 アーティファクト使い同士の戦闘を想定して造られた能力だった。

 
 早人は屈辱に顔を歪める。


「お前だって縛ったままじゃ鞭を使えないだろ! だったら条件は……」

 対等だ。

 そう言いかけた言葉は、途中で停止することになった。


 ムスカの背中から、長いものが引き抜かれる。
  
 それは彼が右手に持つものとまったく同じ、もう一条の鞭。


「残念でした。お馬鹿サン」

 絶望に凍りつく相手の顔を愉しみ、道化師は笑う。


「死ね」

 速く鋭い攻撃が、容赦なく早人を襲った。





 声が聞こえた。

 同胞たちの、悲痛な叫びが。


「……」

 地に伏す霊獣は、重い瞼を開けた。


 視界に映るは、二人の人間を殺すべく、暴威をふるう異端の霊獣。

 それが、悲鳴の源だった。


 同族である彼にはわかる。


 あの巨躯から浮かび上がる幾つもの顔が、声なき叫びを上げていることを。

 姿無き涙を流していることを。


 あれは、幾人もの人間と、霊獣の複合体だ。

 より大きく、より強い霊獣を生み出すため、ニブルへイムはあんな罪な生物を造り出した。


 死せる魂が、人間と霊獣の区別無く強引に?ぎ合わせられている。
 
 ゆえにあれは大きく、そして強い。

 
 だが、それだけだ。


 所詮は、新たな可能性を模索するための試作品にすぎない。

 あんなつぎはぎだらけの身体が、生き物として安定したものであるはずがない。
 

 そして、そんな身体にされた者達の苦しみは尋常ではないだろう。
 

 他の存在と、強制的に結合させられる苦しみ。
 
 身体の自由を奪われる苦しみ。
 

 それでもなお、一つ存在として生きねばならない苦しみ。
 
 それらが重なりあって、あの悲鳴を生み出している。

 
 痛ましかった。

 見るに堪えなかった。


 あの者達も、自ら望んであんな化け物になったわけではない。

 上層部の研究者たちの強制によってだ。
 

 視線を変える。

 
 そこでは銀髪の少年が、敵のゾルダートと交戦していた。

 戦況は明らかに少年が劣勢。


 武器を奪われ、襲い来る鞭から必死に逃げ続けている。

 しかし完全にかわしきることは出来ず、徐々に肉を削られ、血潮を撒き散らしていた。


 このままでは、あと数分ともたないだろう。


「……」
 
 彼は人間に関心がない。

 だが、あの少年だけは別だった。


 自分はあの少年を殺そうとした。

 あの少年は自分を殺さなかった。


 ただ、それだけのこと。
 
 たがそれだけで、彼の心を動かすには充分だった。
 

 ニブルへイムの住人は、自分たちを生んだ。

 自らの欲望を叶えるための道具として。
 

 人間を殺し、魂を集める。

 ただ、そのためだけの存在。


 名も与えられなければ、自由も与えられない。

 与えられるのは、死ぬまで続く使命のみ。
 

 彼ら霊獣は組織の末端であり、弱者だった。
 
 だから彼らは、笑いながら人間を狩った。

 
 人間が死に際に見せる、恐怖に染まった顔。

 それを見下ろしているときは、自分たちもまた弱者であることを忘れることができた。

 
 より弱い者をいたぶる時だけが、彼ら霊獣の唯一安らげる時間だった。


「……」

 何と下らない。

 何と卑しい生き方だろう。


 だが、それでも彼は同胞たちを卑下することはできなかった。
 
 今まで倒されていった同胞たちも、根が邪悪だったとは決して思わない。


 そうせざるをえなかったから。

 そうしなければ生きてゆけなかったから。


 彼らは人間を狩り続けただけだ。
 
 だから負けたくなかった。


 自分たちを邪悪と蔑み、容赦なく殺し続ける人間達には。
 
 せめて一矢報いて、意地を示したかった。
 

 だがそれも、もう終わった。

 
 自分はこれから死ぬ。

 名も無き一匹の化け物として。


 何をどうしても、それは変わらない。
 
 自分は結局、何も成し遂げられなかった。

 所詮は皆と同じ、醜い化け物だった。


 視界に映るのは、二人の人間。


 一人は、部下である自分を容赦なく貫いた男。

 もう一人は、自分を撃たなかった、小さな少年。

 
 薄れゆく意識の中、彼は想う。


 もし、生まれてきたことに何か意味があるのなら。
 
 もし、己が生きたことに何か意味が作れるのなら。





 回避を続けながら反撃の糸口を模索していた早人だが、ついに限界の時は来た。


 疲労で筋肉が硬直し、もう動けない。

 力なく片膝をつく。


「しぶとい奴だネ。いい加減こっちも疲れてきたヨ」

 早人ほどではないが、ムスカも息を切らしている。

 口調には明らかな苛立ちがこめられていた。


「まだ二匹残ってることだし、ここらで討ち止めにしよう」

 主の意思に従い、銀の鞭が蛇のように蠢く。


 鋭い切っ先が、一点を指し示す。

 少年の心臓を。
 

 早人の眼には、まだ生気が宿っていた。

 こんな男に、負けたくはない。
 

 だが、その意思に肉体はついてきてくれない。

 ただ息を乱し、休息を求めるのみ。

 
 次の一撃をかわす体力はない。

 かわせたとしても、勝てる手だてが思い浮かばない。

 
 このままでは、確実に死ぬ。





 蠢く鞭が、攻撃態勢をとる。

 疾風の如く、一筋に伸びた。


 その光景を、かの霊獣は見据えていた。


“なんでだろう……よくわからないや”


 心の奥底で、少年の言葉が反芻する。


“撃ちたくない……そんな気がしたから”


 理屈はいらなかった。





 血飛沫が噴き上がる。





 それは、緑の血。

 人にあらざる者の血だ。
 

 早人の眼は、限界まで見開かれていた。

 頬には緑の滴が飛び散っている。
 

 鞭の先端は、心臓まで届いていなかった。

 自分の体に命中する直前で停止している。
 

 鞭を阻んだのは、一体の霊獣だった。


 彼がその身を盾にして、早人を救っていた。

 鞭は彼の胸を貫いているものの、筋肉の収縮力によって止められ、それ以上先に進まない。
 

 何が起きたのか、なぜこんなことになったのか、早人の思考は追いつかない。


「どうして……」

 震える唇が、微かに言葉を紡ぎ出す。


「わか…らない……ただ……」

 流血の続く口から、かすれた声が返る。


「……死なせたくない……」

 早人は見た。


 苦しみに歪む霊獣の顔を。

 こちらを見返す、穏やかな眼を。


「そんな……気がした……」

 崩れ落ちるように、横ばいに倒れる。


 それきりもう何も言わない。

 指一本動かさない。

 
 彼が何を思い、なぜ自分を救ったのか。

 それはわからない。

 
 だが彼が伝えたかった想いは、どこかでわかる気がした。
 
 言葉でなく、心によって伝わる。理解ではなく、感じる。
 

 呆然となる早人とは対照的に、ムスカは鞭を引き抜くと、霊獣を罵った。


「ったく、余計なとこに割り込みやがって……クズが!」

 道化師を気取った口調は消え失せ、その醜悪な本性が顕わとなっている。

 罵るだけでは飽き足らず、その足で死にゆく体を踏みつけた。


「何度も言わせるんじゃない! 目障りなんだよ!」
 
 何度も何度も、かつて同胞であった者を踏みつける。

 
 踏みにじる。

 その誇りを。

 
 冒涜する。

 その命を。
 

 それを止めたのは、視界の隅から襲ってきた拳打だった。

 無防備な頬に鋭い拳がめり込む。


「ガフッ……!」
 
 仰向けに倒れる形で、ムスカは後方に飛ばされる。

 およそ常人離れした速さと重さをもつ一撃だった。
 

 痛みに堪えかねて呻くムスカを見下ろす、怜悧な双眸。


「言ったはずだ。目障りなのは、お前だってな」

「き、貴様……!」

 睨みつけようとするムスカだったが、その顔は途中で凍りついた。

 相手の顔を、見てしまったから。


 刃のように研ぎ澄まされた双眸。

 渦巻く光の奔流が、威圧的にこちらを見据えている。


 氷の彫像のように静かな面持ち。

 そこに、生命の温かみは微塵もない。


 とても十代前半の少年とは思えない表情だった。

 さきほどまで、自分が侮蔑の対象にしていた少年の面持ちは、欠片も残っていない。


 それでもムスカは立ち上がると、恐怖を押し殺して笑った。

 まだ自分は、物理的には圧倒的優位に立っているのだ。


「ハッ! 強がったところで、できるのは不意討ちでぶん殴る程度だろうが……! アーティファクトが封じられたお前に何が……!」
 
 見苦しい言葉を遮るように、早人は右腕を突き出す。
 
 それに呼応し、巨砲が突如激しい燐光を放ち始めた。


 ムスカがあわてて後ろを振り向くと、光の波動が鞭を吹き飛ばそうとしているのが映った。
 
 アーティファクトによる束縛を、強引に振りほどこうとしているのだ。

 
 できるはずがない。


 この蝿座のアーティファクトは、他のアーティファクトの機能を完全に停止させるはずだ。

 一度束縛されたアーティファクトを再起動させ、物理的にも束縛から逃れるなど、できるはずがない。
 

 理論上では。
 
 だが、これでは……
 

 抑えきれない。


 鞭は光にその身を砕かれ、ばらばらになって四散した。

 銀の巨砲は主の傍らへと還ってゆく。


 絶望に凍りつく相手に、早人は砲身を向ける。

 その瞳には、一片の情けもない。


 この男だけは許さない。

 許してはならない。


 自分のためにその命を散らした名もなき霊獣の、魂の名誉のために。


「お前は消えろ」

 冷酷な声で、宣告した。





「早人君……」

 紗百合は呟く。


 彼女と水城は、むこうのやりとりに見入っていた。

 主の危機を察知したゆえか、ガルムも今は動きを止めている。


「ガルム!」

 そこに声が飛んでくる。


「そいつらは後だ! まずはこいつを殺れ!」

 自力で勝つことを放棄したムスカは、ガルムに救援を支持した。


 ガルムは早人へと突進していく。

 右の二の腕から、肉厚の刃を出現させて。


 甲高い音とともに、刃と巨砲が衝突した。

 そのまま両者は硬直する。


 刃は巨砲を切り裂くどころか、表面に傷一つ入れることはできなかった。

 巨砲は空中に静止したまま、ガルムの巨体を止めている。

 本体も同様で、巨体を見上げ悠然と立ったまま、一歩も退かない。


 水城は駆け出ていた。


「まってろ、今助けに……」

「手を出すな!」

 それを止めたのは、他でもない早人の怒声。


 水城は意表をつかれて立ち止まる。

 早人は静かな声で、続けた。


「二人はそこで見てて。……こいつらは、ぼくが倒す」

 信じられない発言だった。


 こちらに味方が二人もいるのに、あえてその助けを拒否している。

 勝ち目のない闘いを易々と承認するほど、水城も薄情ではない。


「無茶だ! そいつら二人相手にしたら……」

 言葉を遮るように、肩に手が置かれる。

 振り向くと、真摯な眼差しをした紗百合がいた。


「やらせてあげましょう」

「馬鹿言うなよ。早人一人で、勝ち目なんざあるわけないだろ」
 
 反論する水城に、紗百合は静かな声で言った。


「私も初めて見るんです」

「……?」

「あの子のあんな顔は」

 その言葉に偽りはない。






 力で押し切れないと判断したガルムは、次の手に移った。

 胴体から幾本ものナイフを出現させ、筋肉の収縮力で射出する。
 

 しかし、既に早人の姿はない。

 巨砲とともに、ガルムの背後に回っていた。


 刻星眼で動きを先読みし、ナイフが出現する前から動いていた結果だ。


 ガルムは身を翻して追撃を試みるが、それより速く巨砲が火を吹いた。

 閃光が左肩に命中する。
 

 しかし、それは決定打とはならなかった。


 ガルムの肩は激しく損傷したものの、腕が落ちるには至らない。

 ダメージを受けている様子もなかった。


「ハハッ! ガルムには痛覚も内臓器官もないんだよ! そんなぬるい攻撃じゃびくともしないサ!」
 
 ムスカの勝ち誇った声が耳に届く。


 彼は知っていた。


 ガルムの肉体には、その心臓部たるコアが隠されていることを。

 それが破壊されない限り、決して死ぬことは無いことを。


 ガルムは、右腕の火炎放射器を起動させる。

 流石にそれは防御できないため、早人は跳び退いた。
 

 敵の急所を探るため、刻星眼を発動させる。

 視覚に全神経を集中させ、厚い肉の奥底を見透かそうとする。
 

 見えた。


 位置は右胸。

 そこに黒い塊が存在している。


 あれが奴の肉体の最重要機関なのだろう。
 
 問題は、あの厚い肉の壁をどう突破するかだ。


 こちらの弾数はそう多くない。

 無駄撃ちはできない。
 

 ガルムは、再度火炎を放とうとする。

 早人は身構える。
 

 と、不意にガルムの動きが止まった。

 火炎を放とうとした右腕を左腕で握り締め、必死に押さえつけようとしている。
 

 奇妙な光景だった。

 主の命に従おうとする本能と、抗おうとする意思が対立し、戦っているようだった。


「どうした! 早くそいつを殺せ!」

 ムスカが叫ぶ。


 それによって、本能のほうが優勢になったようだった。

 狙いの定まらない火炎を、あたりかまわず放射する。


 それは、先程までの機械的な動きとは明らかに異なる様相を呈していた。

 火炎が飛び交う中、早人は微動だにしない。


 今、全てを理解することができた。


 あの異形の怪物は、決して闘いを望んでいない。

 ただ闘うために植えつけられた本能に支配され、意思に反して動かされているだけだ。


「そうか……お前も苦しいんだな……」

 この時ようやく彼にも聞こえた。


 巨体を構成する数多の魂、その一つ一つが放つ、声なき叫びを。

 それはとても悲痛な叫び。


 縛られし魂たちの、終わりへの渇望。


「今、終わりにしてやるから」

 臆することなく、巨砲を連れて駆け出す。


 本能が繰り出す拳が襲ってきたが、大きく身をかがめることで回避し、すり抜けた。

 銀の砲身を、無防備な右胸にあてがう。


 零距離からの、二連射。


 初撃を第二撃が押し出すことで威力は爆発的に増幅され、右胸に大穴を穿った。

 コアは跡形もなく消滅する。


 地響きとともに、巨体が仰向けに倒れ、崩れ落ちた。

 驚愕のあまり凍りつくムスカに、冷ややかな眼が向けられる。





「強い……」

 水城は感嘆の声をもらした。


 今の闘いで見せた早人の強さは、特訓の時とは比べ物にならない。

 魔眼もアーティファクトも、完全に使いこなしている。


「何かに障害を抱えた人間は別の何かに秀でた資質をもつといわれますが……」

 傍らに立つ紗百合が言った。


「あの子にとって……あの才能がそうなのかもしれませんね」

 紗百合も水城も内心で思う。


 アーティファクト使いに必要なのは、“精神の資質”だ。


 確かに発動できるか否かには、適性の有無がある。

 能力の形態には、個人の性質が影響する。


 だが強弱の理屈は単純。

 強い魂ほど、強い力を生み出せる。



 いつも弱気で、おどおどしていた少年。

 幼さの残る、華奢で小さな体。


 あの奥に、それほどの力が宿っているというのか。





 ゆるやかな足取りで、早人は進んでゆく。

 最も悪しき者に、裁きを下すために。


「や、やめろ……来るな、来るな……」

 ガルムが倒された以上、もはやムスカに打つ手はない。


 個人の力量では、彼はレオ部隊で最低に位置する。

 これ以上策もなければ、頼る者もない。


「来るなぁ!」

 恐怖にかられ闇雲に鞭を振るう。


 幾多の打撃が、華奢な体を打ちすえた。

 衣服が裂け、血飛沫が舞う。


 どこか螺子の外れた高笑いが口から漏れた。


「ハッ、ハハハ! ざまあみろ! 余裕ぶっこきやがって、まともに食らいやがったぜ!」

 だが、その哄笑は途中で枯れ果てる。


 打ちすえたはずの体が、倒れない。

 二本の足で悠然と立ち続けている。


 鞭の先端付近が、小さな手に掴まれた。

 次の攻撃が放てぬように。


 怜悧な双眸が、こちらを射抜く。


「それがどうした」

 冷酷な声が発せられる。


 ムスカは悟った。


 この少年が、自分より遥か上の存在であることを。
 
 自分がそれを呼び覚ましてしまったことを。


 銀の砲身が向けられる。


「消えろ、お前のツラは二度と見たくない」

「ま、待て!やめ……」

 早人は待たなかった。


 砲身から閃光が放たれる。

 それはムスカの体を飲み込み、遥か彼方へと跳んでいった。


 コンクリートの壁が爆砕し、煙が巻き起こる。
 
 あとには瓦礫の山だけが、墓標のように残された。





 闘いが終わり、場には元の静けさが戻る。

 横たわる霊獣の傍らに、早人は跪いた。


「……勝ったよ」

 霊獣の目は、微かに開いている。


 まだ生きてはいる。

 だがその命が空前の灯火なのは、誰の目にも明白だった。

 
 それでも早人は語りかける。

 この男の死を、自分は看取る義務があるのだから。


「あなたがいなかったら、僕は死んでた……ありがとう」

 “ありがとう”……その言葉が、薄れかけた意識を呼び覚ました。


 人間にそんなことを言われたのは、これが最初で最後。

 そんな日がくるとは思いもしなかった。


「死に損ないが、勝手にしたことだ……礼はいらない。……ただ一つだけ、聞いてほしいことがある……」

 早人はこくりと頷く。

 霊獣は穏やかな目で、口を開いた。


「我ら霊獣の命は……人間より、ずっと短い……」

 初めて知る事実だった。
 
 霊獣は続ける。


「所詮は魂を集めさせるためだけの……粗悪な、かりそめの命だ……ほんの数年で……その肉体は朽ち果てる」

 そう遠くない未来の、死への恐怖。

 それは、全ての霊獣が生まれたながらに背負う宿命だった。


 そしてそれが、彼らの魂を錆びつかせていた。


「だから誰も、自分がしていることは正しいのか……何をするべきなのか……そんなことを考える余裕はなかった……ただ生きたかったんだ。残されたわずかな日を、一日でも、一瞬でも長く……生きていたかった。だから、ニブルへイムの者達の言いなりになっていた……」

 ニブルへイムの住人に仕えている時、彼らに自由は微塵もなかった。

 ただ命令に従い、獲物を探し、殺し続ける日々。


 何かを求めることは許されない。

 意見することも許されない。

 ただ命令されたことだけを行い、やがては朽ちゆくのみ。


 だがそんな苦しみだけの生でも、皆最後まですがりついていたかった。


「あの島がある限り、人間は殺され続け、そのために生み出される霊獣もまた苦しみ続ける……そんなことが、これからもずっと続いていく……どこまでいっても、苦しみと、悲しみばかりだ……誰も救われはしない」

 霊獣は少年に手を伸ばす。

 崩れかけた、醜い手を。


 最後の力を振り絞り、最後の望みを託す。


「だからお前の手で……あの島を消してくれ。苦しみも、悲しみも……全て終わりにしてやってくれ……」

 差し出された手を、早人は掴んだ。

 見た目の醜さとは裏腹に、その手には温かなぬくもりがあった。


「わかった……必ず、終わりにしてみせる」

 互いの静かな目が交錯する。


「約束だ」

 二人の言葉が、一つに重なる。

 その心も。


 舞い落ちた雪が溶けるように、名も無き霊獣は消えていった。

 安らかな笑みを残して。





 ムスカとガルムの敗北は、小型霊獣を介してすぐにレオに伝えられた。

 闘いのおおよその内容も。


「フム……思った通り、なかなか骨のある奴らだ。伊達にアリエスの部隊を倒しちゃいないな」

 味方の敗北を気に病むそぶりは微塵もなく、ただ敵の力量を賞賛するレオに、エリダヌスは問うた。


「最初から、ムスカは噛ませ犬だったのですか?」

 彼女とて、ムスカの死を悼む気などない。


 あの男は平然と部下を虐げ、罪もない者を何人も殺していた。

 死んで当然だと思う。


 それでもこんな問いをしたのは、レオの内心を計りたかったからだ。


「そうでもないさ。奴が見事勝利を収めたなら、それはそれで褒め称えてやるつもりだったよ。まあそういう風に扱ったのは認めるが、結局のところ勝つか負けるかは、あいつの自己責任てやつだろ? 別に俺が殺したわけじゃない」

「……」

 淡々と語るレオを、エリダヌスは複雑な眼差しで見つめていた。


 もし自分が死んでも、この男はこんな風に涼しい顔をするのだろうか。


 元々、上司と部下という間柄だ。

 深い絆を期待しようなどとは思わない。


 だが、どこかやりきれない気持ちもあった。


 そんな心情を察したように、レオは言う。


「そんな目で見るなよ、エリ。こう見えて、俺はお前がけっこう好きだからな。捨て駒みたいに扱ったりはしないさ」

「……はい」

 薄ら笑いを浮かべながら言われても、説得力はない。

 それでもエリダヌスは頷いておいた。


 ようやくにして、レオは椅子から立ちあがる。


「さて、行くか」

「どこへです?」

 待っていたとばかりに、レオは唇の端を吊り上げた。


「宣戦布告さ」





「つつぅ……!」

 薬草入りの絆創膏が傷口に沁みて、早人は涙目になった。


「先程の勇ましい闘いぶりは立派でしたけど、あまり後先考えずに暴れていると体がもちませんよ」

 植物使いの紗百合は、薬草などを精製することもできる。

 今はそれを生かして、早人の手当てを行っていた。


 場所は変わらず駐車場。


 三人は暫しの休息をとっている。

 これだけ派手に暴れてしまった以上、もはや隠密行動がどうこう言っても無意味だ。


 ゆえに、かなり堂々とくつろいでいた。


「水城君。敵の残りの戦力はどの程度だと思いますか?」
 
 紗百合は、柱によりかかる水城に問うた。


 水城は、ついこの間までゾルダートだっただけあって、敵の情報をある程度知り得ている。


「そうだな……レオ部隊のゾルダートは、今倒したムスカを除けば“ヘルクレス”、“ラケルタ”、“エリダヌス”の三人だ。これだけ派手な作戦を決行してるとこからして、全員連れてきてると見て間違いないだろうな。霊獣は……まあ、いても十体に満たないと思う」

 紗百合は人差し指を唇にあてて黙考する。


 彼女も水城が提示した数は妥当だと思った。

 問題は、これからどう攻めるかだ。


 そんな時、それは唐突にやってきた。


「やあ諸君。元気かな」

 駐車場に響き渡る男の声。


 肉声ではない。

 機械を介しての声だ。


「俺が、ここでテロごっこやってる奴らのアタマ張ってるレオだ。以後お見知りおきを……といっても、まだツラを拝んでもらってないか」

 楽しげな笑いが機械越しに聞こえる。


(こいつが……レオ……!)

 近くにいないことを知りながらも、早人は反射的に身構えてしまった。


 思ったより若い男だ。

 その声色からも、本人の精悍な顔立ちが覗える。


 駐車場に備え付けられた防犯カメラでこちらの様子を伺い、館内放送を利用して喋っているのだろう。

 もしかしたらここを戦場に選んだのは、こういう設備を使えるからかもしれない。


「そうだな……まずは、うちのムスカとガルムを倒したそちらの力量を素直に称えておこう。獲物は手強いほうが俺も嬉しいよ。情熱が湧いてくる。いや、この場合は闘志かな」

 三人とも黙したままレオの言葉を聞いていた。


 こうしてわさわざ放送で話しかけてきたのは、自分たちを褒め称えるためではあるまい。
 
 何かしら、交渉か提案の類があるに違いない。


「悪いが音声は聞こえないんでな。一方的に用件だけ言わせてもらう」

 案の定、それはきた。


「聞くところによると、そっちは三人ともまだ五体満足らしいな。そして……丁度、俺の手駒のゾルダートも残り三人なんだ」

 そう前置きして、自らの思惑を語る。


「ここで一つ提案をしたい。その三人とお前らと別々の場所で、正々堂々の一騎打ちをしてみないか。勝った奴には、俺への挑戦権をくれてやるって寸法だ。もし三人とも勝てたなら、三対一で俺に挑んできても一向にかまわないぜ。この条件なら、こちらは残りの霊獣どもはけしかけないし、罠の類も使わない」

 楽しげに解説するレオの口調からは、悪意や侮蔑の念は感じられない。

 むしろ気取った口調の裏に、少年のような稚気が感じられた。


 そこが、かえって不気味でもある。


「一人は一階の雑貨店。一人は二階の吹き抜けになった通路、一人は三階のエレベーター付近に配置してある。ま、受けて立つかどうかはそっちのご判断に任せるさ。俺としては、受けてくれたほうが嬉しいがね」

 それを最後に、放送は途絶えた。

 三人は顔を見合わせる。


「今の……何かの罠かな?」

「いや、多分本気で言ってるんだと思うぜ。レオの風聞は、俺もけっこう耳にしてるからわかる。奴は作戦遂行の効率より、その過程を愉しむっていう酔狂なお方だ。おそらく、今の提案とやらに嘘はないだろうな」

 真剣な面持ちで水城は言った。


 早人もその意見に納得する。

 確かに、音声を聞く限りで自分があの男に抱いたイメージは、それと一致するものだった。
 

 続いて紗百合が口を開く。


「この中で、一人で闘うのに自信がないという人は?」

 無論、名乗り出る者はいない。

 むこうが酔狂な余興を提案するなら、あえてのってやるだけだ。


 紗百合はいつもの澄まし顔を、水城は不敵な笑みを、早人は鋭い眼差しを、その顔に浮かべる。


「決まりですね」

「サシの勝負なら望むところさ。話が早くて助かる」

「馬鹿げた遊びだけど、乗ってやるしかないよね」

 各自、思い思いの言葉を口にする。

 臆する者はいない。


「さて……じゃあ誰がどこに行く?」

「うーん……」

 水城が聞き、早人が唸る。


 各階の指定の場所に一人が待ち構えているという以外、敵についての情報は知らされていない。

 これは判断に迷うところだ。


「そんなの、ジャンケンでいいじゃないですか」

「「……」」

 紗百合が言うと、他二名は非常にしまりのない顔をした。





「……ってわけだエリ。さ、出番だぜ。行ってきな」

 機械を止めたレオは、後ろに立つエリダヌスに笑いかけた。

 エリダヌスは呆れ顔で嘆息する。


「……最初から、これがやりたかったわけですね」

「そーゆうこと。やはりケンカはタイマンに限るだろ? それに、不法占拠された建物での、悪の組織と正義の味方の正面衝突だ。なかなか燃えるシチュエーションだと思わないか?」

 イベントの主催者のように陽気な口調で言う。


“悪の組織”を自認しているところが、いかにもこの男らしい。


「どうでもいいです」

 そう言いながらも、エリダヌスは踵を返す。

 口では皮肉を言えても、結局のところ彼女にレオの決定を拒否する権限はない。


 去っていこうとする彼女を、レオは呼び止めた。


「闘うのは嫌か、エリ?」

「当たり前です」

 振り返らずにそっけなく返す。

 しかし次に投げかけられた言葉は、その表情を一変させた。


「なら、俺を殺せばいい」

「……!」

 エリダヌスは我が耳を疑う。

 振り返ると、レオは変わらぬ微笑を浮かべていた。


「そうすれば、もう好きでもない男の傍にいる必要も、聞きたくもない長話を聞かされることもない。“レオ”の称号も“赤輪眼”もお前のものだ」

 唇から紡ぎ出される言葉を、一字一句逃さずエリダヌスは聞き入っていた。


 冗談なのか、本気で言っているのか、彼女の慧眼をもってしても見抜けない。


「もっとも、俺もこの“レオ”の座けっこう気に入ってるからな。そう簡単はくれてやらんよ」

 レオの眼差しには、殺気も、怒気も、闘気もない。


 だが、底知れない何かが潜んでいた。

 狂気の類とは異なる、形容のし難い力。


 おそらくそれが、彼が多くの者をひれ伏させ、多くの者に崇拝される所以なのだろう。


 普段何気なく言葉を交わしていたが、ここの時ばかりは恐ろしかった。

 平然と、自分を殺せばいいと言い切れるこの男が、恐ろしくてたまらなかった。


 気圧され気味に眼を伏せる。


 自分は、この男には敵わない。

 やはりこの男には、人を支配できる資質がある。


 自分にそれはない。

 自分はどうあがいても、あんな眼はできない。


「私は……」

 微かに開いた唇が、言葉を紡ぎ出す。


「私は、そのようなことができる器ではありません。人の上に立つ器量もなければ、そのように向上する気概もありません。人に飼われていなければ生きてゆけない、凡庸の者です」

 それは、彼女が初めて見せる真摯な表情だった。
 
 そしてそれは、隠しようのないほどの憂いを宿していた。


「あなたの命に従う以外に生きる道がないのなら、それを受け入れます」

 そう言い残し、踵を返して去っていった。

 レオと目を合わせることは出来なかった。


 だから彼女は、見ていなかった。

 自分の言葉を聞いたレオの顔から、一瞬だけ表情が消えたことを。

 
 足音が消えた後、残されたレオは一人呟く。


「器じゃない……か……」
 
 その時には既に、元の穏やかな微笑が戻っていた。
 

「どうかな? 人間その気になれば、どうとでも化けれるもんだぜ」





 戦場を目指し、少女は一人歩を進める。


 その手に握るは、美しき女神の彫像。

 エリダヌス座の称号とともに与えられた、彼女のアーティファクト。


 人殺しの道具だ。


「……」

 彼女の短い人生において、“選択の自由”など一度としてなかった。


 他者の強要と、選択肢の無い道筋。

 運命に翻弄された挙句に、今の立場に行き着いたに過ぎない。


 彼女の運命は、常に彼女より強い者が握り続けていた。

 それは、これから先も変わることはないだろう。
 

 永遠に。





 距離的に見て、戦場に一番近いのは紗百合だった。


 しかし一階の雑貨店に足を運んでみると、そこに敵の姿はなかった。

 静まりかえった店内を、敵の姿を求めて彷徨う。


 無論その視線に隙はなく、足運びはいかなる事態にも対応できるよう洗練されている。


 ここは居並ぶ長い棚のせいで視界が悪く、道の狭い場所だ。

 どこかに隠れて、奇襲を仕掛けてくる気だろうか。


 そう思っていると、場違いに上ずった声が聞こえてきた。


「た、助けてください!」

 若い女性の声だ。


 見ると、棚の間の狭い通路に、その姿はあった。

 ジーンズに白いシャツ姿という軽装の女性だ。


 震えて満足に動かない体を、棚にすがりつくことでなんとか支えている。


「あ、あ、あなた、助けに来てくれた人でしょ? お願い! 私をここから出して! でないと、あいつに殺される!!」

 彼女はひどく動揺していた。


 必死の形相で、紗百合に庇護を求めている。

 よく見ると、彼女には右腕の肘から先がなかった。


 出血がないところからして、これは元からの障害なのだろう。


「落ち着いて下さい。あいつとは何者のことです?」

 紗百合は静かな声で相手を宥める。


 女性は震える左手で通路の先を指差した。

 そこには二つの死体が転がっていた。


 獣に食いちぎられたように体の各所が欠損した、無残な亡骸だ。

 その顔に浮かぶ苦悶の表情が、彼らが死の間際にどれだけの苦痛を味わったかを物語っている。


「私達……隙を見て逃げ出してきたんだけど……途中で見つかって……ああなったの……あいつは今もどこかに隠れてるわ」

 女性は紗百合に近寄り、右肩を掴んだ。

 動揺のせいか要領の悪い説明だが、言わんとしていることは理解できる。


「そのあいつとは、どのような手段で二人を殺したのてすか?」
 
 紗百合の声は、不気味なほど冷静だ。

 目の前でうろたえる女性への憐みなど、一片も浮かんでいない。


「わ、わからないわ! 一瞬のことだったもの! と、とにかく一緒に逃げましょう! 二人で力を合わせれば……」
 
 女性の言葉が終わらぬうちに、紗百合は彼女の手を振り解いていた。


「お断りします」

 木の葉手裏剣を一枚作る。

 静かにそれを、女の胸に差し込んだ。


「な……んで……」
 
 短い言葉を残し、女は倒れ伏した。

 紗百合はそれを冷ややかに見下ろし、言葉を紡ぐ。
 

「理由は三つ……」

 その眼差しにあるのは、相手への侮蔑だけ。

 女は白目を剥き、口から血を垂らしている。


「一つは、あなた以外に人の気配がないこと。もう一つはあそこで二人がまとめて殺されているのに、あなただけが不自然に生き残っていること。最後の一つは、本当に動揺している人間は、あなたのように饒舌ではありませんよ」

 そして、止めを刺すように告げる。


「ついでに言うなら、女性のふりをするならその口臭をなんとかしなさい」

 無論、死人に聞こえているなどとは思っていない。


 皮肉をこめた弔いの言葉だ。
 
 だが、それは弔いの言葉にはならなかった。
 

 突如として、死に顔が笑みを形作る。


「ったく、手厳しい女だな。可愛気のねぇ」
 
 胸を射抜かれてなお、女は生きていた。

 何事もなかったように、悠々と起き上がる。


「まあ、そのくらい生意気なほうが、泣かせ甲斐があるんだけどよ」

 それはもう、女の声ではなかった。

 男の太い声だ。


「ピエロの次はゾンビですか……つくづく悪趣味な」

 平静を装う紗百合だが、頬には冷や汗が伝っていた。


 自分は、確かに心臓を貫いたはずだ。

 なのになぜ、こいつは生きている。


「ヒヒヒ……」

 卑しい笑いとともに、顔つきが変わった。


 否。


 正確に言うなら、顔面が変異を始めた。

 筋肉が粘土をこねまわすように蠢き、骨格が歪んでゆく。


 それは顔面のみに留まらず、胴体にも及んでいた。

 女性の体型が男のそれにかわっていき、筋肉が膨れ上がる。
 

 あまりのおぞましさに、流石の紗百合も青ざめたほどだった。


 やがて、男の素顔が顕わとなる。


 落ち窪んだ眼に、異常な程皺の寄った眉間。

 削げ落ちた頬。


 その内面を具現化するような、醜悪な面相だった。


 唯一、女性に扮していた時と変わらない長髪が、それを助長している。


「光栄に思いな、女。この“ラケルタ”様に遊んでもらえることをよ」
 
 蜥蜴座の称号をもつ男は、長い舌で唇を舐めた。





 普段あまり使う者のいない階段を、水城優也は上っていく。


 エレベーターは使わない。

 万一ケーブルを切られでもしたらひとたまりもないし、扉が開いた瞬間を狙われれば逃げ場はないからだ。


 場所を指定されている以上、気配を消しても無意味だ。

 静寂の中に足音を響かせ、一歩一歩進んでゆく。





 あいつらは、無事だろうか……


 ふとそんな思いが、脳裏をよぎった。

 彼は他人に関心がない。


 ニブルへイムの行いによって何人が犠牲になろうとも、人質たちがどうなろうとも、他人事としか思わない。


 だが自分と“繋がり”のある者が命を落とすのだけは、あってほしくなかった。

 出会ってからまだ数日だが、彼は早人と紗百合のことが嫌いではなかった。


 それなりに世間話はしたし、冗談も口にした。

 その時自分は、割と本気で楽しんでいた。

 
 この闘いが終わったら、何かの遊びにでも誘ってやろうかと思う。

 このままこの街に住み着いてみるのも、それはそれでいいかもしれない。


 気がつけばそんなことばかり考えている自分に気付き、水城は自嘲気味に笑った。


 何を考えている、水城優也。

 お前がそんなガラか。


 性悪で狡猾な殺人鬼。

 刀を振るってでしか生きていけないろくでなし。


 それがお前だろう。


 他人はお前をそう見ている。

 お前も自分でそう思っている。


 ならばそれが真実だ。


 お前が死んだところで誰も悲しむ者はいない。

 だからお前も誰かの死を悲しむことはない。


 他者との“繋がり”を求めはしない。

 自分にその資格があるとも思わない。


 自分は夜の世界で生きると誓ったはずだ。


 三年前の、あの日に。


 誰の庇護も受けず、己の力で生きてゆくと。


 待ち受ける苦難に耐え、自由を手にすると。






 階段を上り終え、目当ての三階に辿り着く。


 今や人気のなくなった店内を、静かに歩く。
 
 夜の住人……裏家業を生業とする者は、常に死と隣り合わせ。


 明日を生きるためには、今日の敵を葬らねばならない。
 

 今彼がいるのは、左右を各種の店舗に挟まれた広い通路だ。

 誰もいない、何も聞こえない、無人の空間。


 その先に冷笑を向ける。


「隠れないで出てこいよ。正々堂々のタイマンなんだろ?」

 右前方に位置する太い柱。

 その陰から、男の足が現れた。


「俺の相手はどいつになるかと思えば……貴様か、コルブス」

 出てきたのは、見覚えのある相手だった。


 白いコートを羽織り、美形といって差し支えない顔の下半分を覆面で覆った男。

 ニブルへイム時代に、こいつとは何度か面識を持った覚えがある。


「ヘルクレスか……そういや、お前もあのジャングル大帝の手下だったな」

 冷笑を浮かべたまま皮肉る水城。

 だがその内心は、決して余裕のあるものではなかった。


(やれやれ……やっかいなのに当たったな……まあこの際、贅沢は言えないが…)

 レオ部隊の内、死んだムスカを含めラケルタとエリダヌスの能力は調べがついていた。

 だが残念ながら、この眼前の男の能力は一切知らない。
 
 アーティファクト使いとの戦闘において、それはかなりの不利だ。


「鴉風情が獅子を蔑むとは、身の程知らずも甚だしいな」

「ほざいてないでさっさとこいよ。俺は野郎と立ち話する趣味はないんだ」

 射殺すような視線が水城に向けられた。


 水城は一歩も退くことなく、冷笑をもって返す。


 ヘルクレスは上着のポケットから、黒い塊をとりだす。

 逞しい筋肉と、勇壮な面持ちをした戦士の姿。


 ギリシャ神話最強の英雄、“ヘルクレス”の彫像を。


「いいだろう。その減らず口、すぐに叩けなくしてやる」

 主の思念に反応し、彫像は変異を遂げる。


 やがて現れる、諸刃の刃。

 金色の鍔。

 見事な拵えの施された柄。


 武具に詳しい水城は、それがバスタードソードと呼ばれる西洋刀を模したものであることを悟った。


 漆黒の刀身をもつ、長剣のアーティファクト。


「貴様の霊刀“鴉翼”と我が魔剣“ダインスレフ”……どちらが上か、較べてみるのも悪くない」





 その光景を目にした朝倉早人は、呆然となった。


 四階には、なぜか霧がたちこめていたのだ。

 濃霧が視界を白く染め上げており、一寸先も見渡せない。


 この異様な光景、間違いない。

 敵の能力だ。


 人影は、音も無く、早人に近づいていた。


 まだ相手は、この状況に困惑しているようだ。

 無防備な背中を晒している。


 正々堂々の勝負など、レオが勝手に言い出したことだ。

 自分に闘いを愉しむ趣味はない。


 不意打ちだろうと騙し討ちだろうと、すぐに終わらせられるなら、それにこしたことはない。


 人影は槍を両手で持っていた。

 穂先以外を青い金属で作られた、細身の十文字槍だ。


 背後からの一突き。

 これで終わらせる。


 ためらいなく、手馴れた動作で、標敵の背中めがけて突きを放った。


 甲高い金属音が響きわたる。


 人影の突きは、太く長く分厚いものに止められていた。

 主の背後に瞬時に移動した、銀の巨砲によって。


 早人は、首だけを後ろに向ける。


「正々堂々の勝負なら、せめて名乗ってから攻撃してくれないかな」

 漆黒の瞳の奥には、渦巻く光の奔流が存在していた。

 銀河を模したその光には、この世の全てを見通す力が具わっている。


 人影は全てを理解し、後方に跳び退いた。

 一瞬だけ浮かんだ驚愕は既に消え失せ、氷のような冷静さが戻っている。


「その眼……あなたが例の“刻星眼”の持ち主ですか……」

 奇襲を難なく見極められても、動揺は一切無い。

 霧など力の一部に過ぎない。


 敵を葬る手段は、他にいくらでもあるのだから。


「なら、こんな小細工は無意味ですね」

 槍を軽く一振りする。


 ただそれだけで、辺り一面を覆っていた霧は跡形もなく消え失せた。

 
 四階の風景があらわになる。

 対峙する二人の姿も。


 表面上は平静を装っている早人だったが、内心では敵の姿に少々面食らっていた。


 自分に襲いかかってきた相手が、自分とそう歳の変わらない少女だったからだ。


(女の子……この人が……?)

 どんな奇人怪人の類が現れるのかと想像していた身としては、少々複雑な気分だった。


 だが、拍子抜けしたとは言わない。

 むしろ年端もいかない少女が、身の丈に不似合いな槍を携えて立ちはだかる様は、どこか不気味でもあった。


 先程の早人の言葉に従い、少女……エリダヌスは静かな声で名乗る。


「私はニブルへイム・レオ部隊の一人、エリダヌス。主レオの命により、あなたを殺します」

 この時点で、早人はまだ気付いていなかった。


 三つの選択肢の中で、自分が最悪のカードを引いてしまったことに。





 事件発生から数時間が経過した現在。


 百貨店の外の状況は、何ら変化していなかった。

 警官たちは建物を包囲し続けるばかりで、一向に内部に踏み込めずにいる。


 理由は三つ。


 一つは、犯人グループが人質をかかえていること。

 もう一つは、先程の爆発事故の原因が不明なこと。

 最後の一つは、先程内部に潜入していった部隊との連絡が途絶えたこと。


 これらの要因が重なり、警察は打つ手を失っていた。

 犯人グループも、最初の犯行声明以外何ら要求らしきものを提示してこない。


 これでは、状況が進展しないのは当然だった。


「……というわけです。犯人グループの中に十代の少女がいたなどという証言もありますし、車は爆発するし……そもそも犯人どもの目的がはっきりしない。……まったく、こんな妙な事件は初めてですよ」

 警察関係者が形勢する群れの一角。


 中年の私服警官は、敬語を用いて事態を説明していた。


 彼の階級は警部。

 だが眼前に立つ男の地位は、それよりさらに上だった。


 警部の話を聞いているのかいないのか、男は視線を建物に向けたままだ。


「さっきの爆発事故とやら……車に爆弾でも仕掛られていたのか?」

 ようやくにして、堅く閉ざしていた口を開いた。


「いえ、それが……まだ検証中ですが、それらしき痕跡はなく……その、まったく原因不明ということでして……」

 頭を掻きながら歯切れ悪く答える警部。


 一方男は何か思い当たる節でもあったのか、僅かに眼を細めた。


「やれやれ……面倒なことになったな」

 踵を返し、建物のほうへと向かっていく。


 自らの職務、そして使命を果たすために。


「あんたたちはここで待機していろ。俺が様子を見てくる」

 後半の言葉が偽りであることを、警部は知っていた。


 過去の経験が教えてくれる。

 あの男の「様子を見てくる」は、「片をつけてくる」と同義だということを。


 それを十二分に心得ていても、男を止めることはできなかった。


 打つ手がないのは確かだ。

 もはや彼に望みを託す他ない。


 男の実力は常軌を逸している。

 それは警察組織では有名なことだ。


 男は警官の群れを抜けて、一人入り口へと向かってゆく。


 その歩みは自然体。

 気負いも緊張も、一切ない。


 ただ一度だけ天を仰ぎ、夜空を眺めた。


 星々に住まう神々に、加護を求めるように。





第6話 第8話

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