ニブルヘイム





星々は巡る
彼らを導く、理に従い
魂は巡り逢う
彼らを縛る、運命に抗い











第四話「刺客」





 天城市の北東部に、小さなビルがあった。

 もう、とうの昔に廃棄されて手つかずとなった、前時代の遺物だ。

外観は廃虚そのもので、内装にいたっては見る影もない。


 深夜零時。


そこに四人の男女が集っていた。

飾りつけがなく、照明すらない殺風景な場だが、気にする者はいない。


ここは彼らの根城ではなく、単なる会合の場に過ぎないのだから……


「また、何匹かやられたらしいぜ」

 一人が言った。

腰に手をあてている若い男だ。


仲間内で、彼は“ヒドラ”と呼ばれている。


「知っている……この数日で、成体の霊獣が八匹行方知れずとなった。また、例の霊獣狩りの仕業だろうな」

 腕を組むもう一人が答えた。


彼は“モノケロス”だ。

このメンバーの中では最も年長の人物である。


「どうも……最近はそれだけじゃないらしいよ。まだ正確な情報じゃないけど……もう一人“霊獣狩り”やらかす馬鹿が現れたらしい。そいつらが組んでるのか……それぞれ単独犯なのかは、わからないけどね」

 メンバーの紅一点“カシオペア”が発言した。

妖艶な雰囲気を漂わせる、若い女だ。


ヒドラは、冷笑をもってそれに応える。


「世の中、案外物好きが多いもんだな……いや、命知らず……というべきか」

 皮肉な物言いに、モノケロスとカシオペアも迎合して笑った。


夜に生きる者には、夜に生きる者なりの足並みの揃え方がある。

 しかしまた、例外もある。


少し離れたところから、最後の一人が言った。


「別にいいんじゃないか? 物好きは物好きなりに好きにさせとけば」

 声の主は壁によりかかる男だった。


彼は“コルブス”という、最近になってメンバーに加えられた男で、他の三人に比べ少々浮いた存在だった。


「これだけ長い期間活動しておきながら、未だに末端の霊獣しか消してないってことは……“ヴァルホル”や、俺らについての知識がないか……もしくは探る手だてがないってことだ。それに何匹も殺られてるとはいえ、生産量は余裕でそれを上回っているから害は無いに等しい。放っておいても、いずれ勝手にくたばるだろうよ」

 三人の顔から笑みが消えた。


コルブスの意見は理にかなっている。

しかしその内容は、彼らが好むものではなかった。


 ヒドラは嘲りの言葉を口にする。


「正直に言えよ、鴉野郎。ビビってるだけだろうが」

 露骨な挑発だった。


しかしコルブスは意に介せず、薄く笑って肩をすくめる。


「御名答。あいにく生来臆病者でね……面倒事は嫌いなんだ」

 その飄々とした態度は、ヒドラの癇に障った。


鋭い眼差しで相手を見据える。

対するコルブスも、怜悧な瞳で見返した。

モノケロスとカシオペアはあえてどちらにも与そうとせず、冷静に成り行きを見守る。


 彼らは皆、浮遊大陸ニブルへイムに属する者達だ。


 人間の魂を集める擬似生物、霊獣。

その上に位置する戦士たち。


 人外の者である霊獣と異なり、人の身でありながら人を超える力をもつ彼らは“ゾルダート(霊闘士)・クラス”と総称されている。


 任務は霊獣たちの管理と、下界での諜報活動。

 そして、組織に害する者の抹殺。


 ゆえに、彼らはその役割を果たすに値するだけの「力」と、その権威にふさわしい「称号」が与えられていた。

 しかし、そんな猛者たちにも、さらなる上は存在する。


 闇の彼方から、その者は現れた。


「やれやれ……相変わらず仲が悪いな、キミたちは」

 抑揚のない、落ち着いた声。


四人の視線が一点に集約する。

彼らはリーダーの到着を悟った。


 四人を従える長は、薄闇のなかに静かに立つ。


「忙しいところを来てくれてありがとう。礼を言う」

 静寂という言葉が似合う人物だった。

周囲の空気が凍てつかせるような、冷涼な気配を纏っている。


この場で最高の地位と実力を持ちながら、その存在感は風景の一部のように希薄だ。

だがその奥には、大海を思わせる深みもあった。


 この者の称号は“アリエス”


 ニブルへイムの住人にして、組織の最高幹部の一人だ。

その力と権威は、ゾルダート・クラスを遥かに凌駕する。


 ニブルへイムの組織は幾つかのグループに分かれている。


アリエスのような最高幹部一人と、直属のゾルダード数名という構成だ。

リーダーである幹部は普段はニブルへイムにおり、有事に下界に降り立ち、下界に潜むゾルダートたちに指令を下すのである。


この時もまた、アリエスの収集によりメンバーが一同に会していた。


「かまわないさ、調度退屈に膿んでいた頃だ。仕事なら望むところだよ」

 モノケロスが親しげに言葉を返した。


彼をはじめとする四人は皆、アリエスが上下の分別に対して寛容であることを知っている。

ゆえに、過度に畏縮することはない。


 だが、決してリーダーを軽んじているわけではなかった。

忠誠の度合いは個々によって差があるとはいえ、彼らは例外なくアリエスの能力に畏怖と畏敬の念を感じていた。


そのため、表立って無礼を働く者はいない。


「そう言ってくれるとうれしい。では余計な世間話は抜きにして、此度の任務を伝えよう」

 丁寧な言葉とは裏腹に、その声には感情がなかった。


アリエスという人物は、柔らかな物腰の裏に他者を踏み込ませない超然とした気配を備えている。

ゆえに、表面以上の親近感を感じる者は皆無だった。


「諸君らも知っての通り……以前から、霊獣たちを葬り続ける輩がいた。最近は、もう一人増えているようだがね。現時点の被害は微々たるものだが、やはり偉大なる“天帝”に歯向かう者を……いつまでも放置しておくわけにはいかない。よって……」

「とうとう抹殺が決定されたわけね。そうよね……天帝に仇なす愚か者には、相応の罰を与えてあげなくちゃ」

 アリエスの言葉が終わらぬうちに、カシオペアは知った顔で妖艶に笑った。

アリエスは無礼を指摘しようとはせず、淡々と続きを語る。


「それもある……だが、話はそれだけではないのだよ」

 四人は表情を消し、口をつぐんで次の言葉を待った。

アリエスの水晶のような眼は、あたりを覆う闇を漠然と眺めていた。


「ニブルへイム本土……“宝瓶宮”に安置されていた、魔眼“刻星眼”が……何処へと消えた」

 四人が初めて驚愕の色を見せた。


誰もが、我が耳を疑うように表情を変える。

ニブルへイムの事情に精通する彼らには、事の重大さがはっきりと理解できる。


 その異常性も。


「直接見た者はいないが、何者かが持ち去ったと考えて間違いないだろう。でなければ……封印が施されていた魔眼が、ひとりでに消えるはずはない。あんなものを持ち出して、何をする気かはわからんがね……」

 アリエスの眼は、居並ぶ配下たちを見据えた。

感情のない声で指令を下す。


「ここまで言えば、もう分かるだろう? キミたちの任務は、二人の霊獣狩りの抹殺と……魔眼の行方の調査だ。各自、すみやかに行動に移れ」

 四人のゾルダートの眼に鋭い光が宿る。


 夜の世界に生きる、修羅の眼差しだった。





 小鳥たちが囀りあう早朝。


眩しい朝日が、白いカーテンから零れ落ちる。

 綾瀬紗百合はベッドの上で、毛布にくるまっていた。

静かに寝息をたて、とても気持ちよさそうな寝顔を浮かべている。


 既に学生服に着替えていた朝倉早人は、それを横からゆすった。


「先生〜、朝ですよ〜!」

 今日、何度目かの呼びかけをする。

ようやくにして反応はあった。


軽い呻きとともに、紗百合はかすかに眼を開く。


「だから……大根は三本同時にですね……」

「……………」

 口から出たのは意味不明な寝言だった。

早人は頭を抱えたくなるのを我慢して、呼びかけを続ける。


「わけわかんないこと言ってないで、起きてくださーい! もう朝ですよー、学校に遅れますよー!」

『学校に遅れる』の一言が効いたらしい。

紗百合は、いかにもだるそうに上体を起こした。


眠い眼をこすりながら、時計の針を見て……また寝た。


「ん〜……あと五時間……」

「せめて五分とかにしてくださいよ!!」


 早人、魂の叫びだった。





 朝倉家の事件から四日が経過していた。


 あの事件の後、早人は紗百合の住む部屋に居候することになった。

母が意識不明の重体で入院し、父も単身赴任中で家に帰ってこれないため、紗百合が当面の保護者を務めることになったのである。


 二度も危機を救われた上に、生活の面倒をみてもらう……本来なら頭が上がらないところだが、それを帳消しにするほどの苦労を早人は負わされていた。


 まず、紗百合は朝に弱い。


というか、一度寝たらなかなか起きない。

早人より先に寝るくせに、先に起きることは絶対にない。


無論、起こすのは早人の役目だ。


 さらに、彼女は見た目は清楚で几帳面に見えるが、共に暮らしてみると全然そんなことはない。


むしろ……非常にぞんざいだ。

部屋の掃除など滅多にしないし、雑誌だろうがビニール袋だろうが下着だろうが、かまわずその辺にぶちまけたまま放置する。


無論、片付けるのは早人の役目だ。


 そして、消費期限が超過した食品を冷蔵庫に大量に隠しもち、それを料理して食わせてくる。


本人は何事もなくぴんぴんしているが、常人はそうはいかない。

よって、早人が一人で腹を壊す羽目になる。


 以上のように、どっちがどっちの面倒をみているのか、わからないような共同生活を送っていた。





「あれから、連中に何の動きもありませんね……」

 朝食の席で、早人はニブルへイムの話題を口にした。

紗百合は緑茶を啜りながら応える。


「それはそうでしょう。私たちが倒したのは、末端の雑魚に過ぎませんからね。せめて……“ゾルダート・クラス”の一人でも倒さなければ、連中も本腰で動いてはきませんよ」

 早人は神妙な面持ちになる。


ゾルダート・クラスについては、四日前……紗百合から説明を受けていた。


人の身でありながら、人を超える者達。


ニブルへイムの実働部隊である彼らは、霊獣を凌駕する力の持ち主だという。


「それか、もしくは“ヴァルホル”の一つでも破壊するか……」

 薄緑の水面からかすかな湯気が沸き立つ中、紗百合は静かに呟いた。

その様子が、彼女がそちらを望んでいることを物語っている。


「どちらにせよ、それをやったら上層部の連中にまで目をつけられて、収拾のつかない事態になります。情報も人員も不足している私達では、勝ち目はないでしょう。ですから……少なくとも、キミが自分の力を使いこなせるようになるまで、目立った行動は控えましょう」

 静かな声で言う。

その言葉に隠された意味を、早人は内心察していた。

 
紗百合は強い。


彼女一人なら、霊獣やゾルダート相手でも立ち回ることはできる。

しかし、早人がいるとそうはいかない。


早人は優秀な“眼”をもっていても、まだ一人で霊獣たちから身を守ることはできなかった。

紗百合は早人を頼れる戦力になると評してくれたが、それはまだ先の話。


現時点では、単なる足手まといにすぎない。

そのことに、早人は罪悪感と不甲斐なさを感じていた。


 そんな気持ちを察したのか、紗百合は穏やかに言った。


「深刻に考える必要はありませんよ。キミの持つ力は強い……必ず、連中にも対抗できるようになるはずです」

「うん……」

 早人はうつむき加減に返事した。


彼は紗百合ほど、自分の能力に自信をもっていない。

確かに、この眼は通常では見えないものが“見える”。


しかし、ただそれだけだ。

“見える”だけで、敵を攻撃できる“力”があるわけではない。


これから訓練したところで、ニブルへイムの者達に通用するようになる保障などない。

正直言って、不安は大きかった。


 しかし……朝から暗い話をしても仕方がないので、適当に話題を変えることにする。


「ところで先生……」

「何でしょう?」

 早人は、紗百合が口に運んでいる物体に眼を向けた。


「トーストに、納豆かけて食べるんですか……?」

「おいしいですよ」

「……」





 身支度を整えた早人は、紗百合より一足先にマンションを出た。


紗百合のペースに合わせていると、自分は確実に遅刻してしまうし……そうでなくても、登下校は彼女とは別にしていた。

 早人が綾瀬宅に居候しているのは、当人たちと早人の父しか知らない。


さすがに「先生と同棲してる」などと噂されてはたまらなかった。


 住宅街の細い道。

人通りのない通学路を歩きながら、早人は自らの思索にふける。

 
 それは、四日前に紗百合に教えられた“ヴァルホル”のことだった。


 彼女曰く、“ヴァルホル”とは、霊獣の生産施設のことらしい。


霊獣は子孫を産んだり自然発生したりすることはなく、機械的な装置によって生み出されるものらしい。

そしてその施設は、この街及びその周辺地域に数箇所存在するのだという。


その一箇所でも破壊すれば、霊獣の量は激減するというわけだ。
 
ニブルへイムは、人間の魂を犠牲にして存在している世界だ。
 

魂を集めてくるのは霊獣の役目である。

霊獣がいなければ、ニブルへイムは魂が補給できなくなり自然消滅してしまう。
 

つまり、ヴァルホルを破壊されることは、ニブルへイムが最も恐れることだった。
 
それなら、霊獣の一体でも締め上げて口を割らせればいいのでは? と最初は思ったのだが、話はそう簡単ではなかった。
 

霊獣たちは一人として、ヴァルホルの場所を憶えていないのだという。


「私も詳しいことは知りませんが……ニブルへイム上層部に“記憶”を操れる能力者がいると聞きます。どうやら、その人物が霊獣たちの記憶に細工を施して、ヴァルホルの場所を憶えられないようにしているようなのです」

 霊獣たちは魂を集めるためだけの存在。


外部に情報を漏らす危険を抱えてまでヴァルホルの場所を憶えている必要はないということだ。

 ヴァルホルの場所を記憶しているのは、有事に警護に回る必要のあるゾルダート・クラス以上の者のみだ。


 しかしゾルダートたちは霊獣と異なり、自主的に人間を襲うことはせず普段は一般人を装って社会に紛れている。

それ以上の幹部たちは、ニブルへイムに籠ったまま滅多に出てくることはない。


つまり、捜し出すこと事態が非常に困難なのだ。

紗百合が長いこと“霊獣狩り”のまま手詰まりになっているのは、そのためである。
 

それにしても、紗百合は多くのことを知っている。


 ニブルへイム……幽子……霊獣……ゾルダート……ヴァルホル……


 彼女は、それらの知識をどこで仕入れたのだろう?

もしかするとまだ多くの知識を語らずに隠しているのではないだろうか?
 

紗百合には恩があるし、信頼もしている。

しかしある意味で、得体の知れない面も多かった。

 
いつ、また闘いが始まるとも知れない緊張による疲れもあったのだろう。

今日の彼は、いつになく思考にふけっていた。


周囲への注意が疎かになるほどに。
 

住宅街の一角。


通ってきた細い道と、やや太い道が交わる交差点。

周囲を囲むブロック塀のせいで、見通しの悪い場所だった。
 

気付いた時には、遅かった。


 道幅に不似合いな大型トラックが、道幅に不似合いな速度で右側からやってきたのだ。


視界を覆う、金属の巨魁。


運転手は前方に出てきた少年に気付いておらず、ブレーキを踏む気配は微塵もなかった。
 
感覚は事態を理解する。


しかし肉体の反応は間に合わなかった。
 
瞳が驚愕に見開かれ、顔が恐怖に歪む。
 

その時、それは起こった。

 
質量を伴った風のようなものが、早人の体にぶつかった。

衝撃を受け、早人は後方に飛ばされて仰向けに倒れる。


その眼と鼻の先を、大型トラックが通過していった。

迷惑な廃棄ガスを残して。


 早人はよろめきながら立ち上がる。


背中は多少痛いが、特に外傷はなかった。

間一髪、助かったらしい。


いや、助けられたのだ。


(なんだ……今のは……?)

 動揺の色濃い顔であたりを見回す。

眼に映る範囲には、猫一匹見当たらなかった。
 

確信はない。


だが、一瞬見えた気がした。

人の形をしたものが、自分を突き飛ばしたように。

そして、跳躍とともにどこかに跳び去ったように。


 誰かが、自分を助けてくれた?


 あの一瞬で、あのタイミングで、そんなことがありえるのだろうか?


 そこまで考えて、早人は目先の問題を思い出した。


朝のホームルームは、あと十分程度で始まるのだ。

ここで立ち止まっているような、時間的余裕はない。

 
心に疑問を残しながらも、早人は歩を進めていった。





 やれやれ……朝っぱらから、余計な運動をしてしまった。

 曲がり角の死角に身を隠しながら、男は息を吐いた。

十数メートル先、今助けた少年は不思議に思いながらも、先へ進んでいったようだ。
 
今度からは、もう少し周りに気をつけて歩いてほしいものである。
 
人前で「力」を使うようなことは避けろと言われたが……まあ、見えたのは一瞬くらいだろうし、見られてどうこうなるものでもないから問題はないだろう。
 
それより……今は、調査を進めなければならない。


 “霊獣狩り”の正体と、“魔眼”の行方……この二つを、誰よりも先につきとめねばならない。





 早人の学校……というより中学生一般に言えることだが、誰もがどこかの部に属しているものだ。


やはり学校としては、生徒が部活動を行っているほうが望ましいらしい。

部活動や委員会活動の有無は、内申書にもかなり響いてくる。

あまりそういったことを真剣に考えたことのない早人も、それを気にして部活を始めることにした。
 

しかし、彼は基本的に体を動かすことが苦手かつ嫌いな典型的インドア少年だった。

かといって文化部に入るのかというと、これまた興味のもてるような団体がなかった。

 
そこで目をつけたのが、「ミステリー捜査部」という怪しげな団体だった。

あまり知的とは言い難いネーミングだが、一応正式な部である。


一昨年あたりに卒業した連中が、人数がそれなりにいることを理由に学校側に無理やり認めさせた団体なのだという。
 
活動内容は、この街で起こる不審な事件や怪奇現象を独自の捜査で解明する……という名目だ。

 設立当時はそれなりに頭数は揃っていたらしいが、去年初期メンバーが卒業すると部員はいっきに激減し、さらに一年たった今年では見る影もなくなっていた。

一応、まだ何人かは籍を置いているのだが、全くといっていいほど顔を出さない。

いわゆる幽霊部員だった。
 

元々、仲間同士の集まりが部を名乗りだしただけの集団なのだから、当然と言えば当然である。

今ではまともにやってくるのは約一名だけで、何の活動も行っていなかった。

 
ちなみにこの部の顧問が、綾瀬紗百合だったりするのは……隠れた事実である。


 校舎の最上階、四階の一室。

物置としてしか使われない埃っぽい教室。

 
放課後、早人はそこでまったりとくつろいでいた。

どうせ家……というより紗百合の部屋に帰っても、やることはない。

よって、いつも放課後はここでくつろぐことにしていた。
 

退屈を時間の無駄だと主張する人間は多いが、彼は退屈が嫌いではなかった。

広い教室を自室のように扱えるのは気分がいいし、グラウンドでスポーツに励む運動部を見物するのも悪くない。


帰りたくなればいつでも帰れる。
 
現在は椅子と机を用意して、自宅からもちこんだ漫画本を読みふけっていた。
 

何だかんだ言っても、自分はかなりの横着者らしい。

これでは先生のことをあまりに馬鹿にできないな、と自嘲気味に笑った。
 

しかし幸か不幸か、彼の平穏な時間は一方的に破壊される。


「おーい、こっちだこっち」

「へぇー……ここがねぇ……」

「懐かしいなー……二年ぶりか」

 今まで人気のなかった廊下が、急に騒がしくなった。

数人の男の話し声と足音が聞こえる。


音はしだいにこちらに近づいてくるようだった。

何事かと思い、早人は漫画を閉じ、廊下を向く。
 

間髪入れず、威勢のいい声とともに威勢よくドアが開かれた。

制服を着た男が姿を現す。


「見よ!! これが俺様の残した……」

 そこまで言いかけて、声の主は硬直した。

彼の視線の先には、見知らぬ少年一人しかいなかったからだ。


「……あれ?」

 拍子抜けした様子を、体全体で表現している。


他の者も、それぞれの反応で驚きを示した。

入ってきたのは、高校生風の少年たちだった。


全部で四人。


皆同じ青いブレザーを着ていることから、同じ学校の生徒であることは伺い知れる。
 
突然の闖入者を前に、早人はリアクションのとりかたがわからず硬直する。


一人が早人に歩み寄った。


「えーと……キミ……他の部員は?」

 最初の者とは別の、くせのある黒髪をした少年だった。


早人は、とまどいながらも返答する。


「あ……その……一応いるんですけど……あんまり来てくれなくて……」

 そう言うと、最初の少年はさらに情けない具合に硬直した。


他の三人は心得た顔になり、互いに顔を見合わせて吹きだした。


「やっぱ……そんなことだろーと思ったよ」

 眼鏡をかけた少年が楽しげに言う。


小柄な少年も便乗して言った。


「ま、俺らが引退したときからすでに怪しかったもんな。諦めろ、服部。これが現実だ」

 服部と呼ばれた最初の一人は打ちひしがれたように床に両手をついた。


どうやら相当ショックだったらしい。


「うう……バ、バカな……鋼の結束を誇った我が部が……」

「いつ鋼の結束とやらがあったんだよ」

 クセ毛の少年がつっこむ。

眼鏡と小柄の二人が声をあげて笑った。

完全においてけぼりにされた早人は四人に問う。


「あの……うちにどういった用で……?」

 小柄な少年が笑顔で答えた。


「ああ、いやね……何てゆーか、俺たちここの部のOBでさ、今日気まぐれに後輩でも冷やかしに来てみたら、この有様だったわけよ」

 その説明で、だいたいの事情は把握できた。


つまりは、部が以前通りに活動しているものと期待して来てみたのだろう。

早人としては、どうでもいいから早く退散してほしかった。


年上の者達にいつまでもいられては、内気な彼は安心してくつろげない。


「邪魔しちゃって悪いね。さ、さっさと帰ろーか」

 眼鏡の少年が早人に一礼して踵を返した。

早人は内心ほっとする。


だが、服部という男の発言がそれを粉々にぶち壊した。


「ここまで来て……そんなアホなことができるか! 今日は、ここで作戦会議だ!!」

 大真面目な顔で宣言する。


(な、なんだってえぇぇぇ―――!?)

 思わず、席を立って絶叫したくなる早人だった。


「ここは俺の部だ! 文句は言わせんぞ!!」

 非常に文句を言いたい約一名を無視して、服部は荷物を降ろす。


どうやら彼の中で、後輩の人権は無視されているらしい。


「あんなことぬかしてるけど……いいのかい? 嫌なら、あのアホ引っ張ってすぐに帰るけど……」

 クセ毛の少年が服部を指差して言う。

早人は両手を左右に振った。


「あ……いえ、結構です……!」

 本当は一刻も早く帰ってほしかったのだが、ここで生来の気弱さが災いしてしまった。

言いたいことをはっきり言えない、損な性格なのである。


 四人の高校生は、それぞれの荷物を降ろして居座る準備を始める。


 かくして早人は、OB四人と放課後を過ごすことになってしまった。





 妙なこともあったものだ……


 人知れず、男は眉をひそめた。

現在、彼は四人の高校生の一人としてこの場に紛れている。
 

今朝、気まぐれ……というか、反射的に助けた少年となりゆきとはいえ、こうしてまた会うことになるとは……

こういうのを、腐れ縁というのだろうか?

 まあいいだろう。

向こうが気付いていないなら、あえて名乗り出ることもないか……


 この時「彼」はこの出会いを、その程度のものとしか考えていなかった。




「いいですか、綾瀬さん。私が言いたいのはですね……」

 同時刻、二階下に位置する職員室。


そこでは奇妙な光景が繰り広げられていた。

生徒ではなく、教師が叱られているのである。


能動側は、面長で白髪交じりの教頭。

受動側は……紗百合だった。


 原因は、最近の紗百合の遅刻と職務怠慢、そして奇行の数々だった。
 

時間通りに出勤してこない。

仕事ぶりが極度にマイペース。

何を思ったか、突然何処へと走り去る。

……などなど、以前から周囲に問題視されていたそれらの事項が、ついに短気で知られる教頭の逆鱗に触れたのである。


 現在、紗百合は教頭の机の前に立たされていた。


「あなたももう社会人なんですから、もっと自覚をもって……」

「はーい」

「やはり、教師というのは生徒たちの見本になるようにですね……」

「はーい」

「綾瀬先生、聞いてるんですか!?」

「はーい」

 反省の色微塵もなし、といった具合の露骨な生返事だった。


眠そうな眼があさっての方向を向いていることからも、その不真面目さが覗える。

何を隠そう……今までの人生、ずっとこれで通してきた彼女である。


説教を受け流すのは慣れたものだ。


「まあ、そのくらいでいいじゃないですか。綾瀬先生は、子供たちにも人気があることですし……」

 若い男性教諭が、笑顔で助け舟を出した。

綾瀬の隣の席に座る不幸な男である。


便乗して、他の数人も口を出した。


「確かに……綾瀬先生が来てから、学校が楽しいって言い出しましたよね」

「なんだかんだ言って、ちゃんとクラスもまとめられてますしね」

 確かに、紗百合は生徒達に好かれている。


端麗な容姿は男女問わず憧れの的だし、謀らずもその天然ボケで授業を楽しくしている。

そのぬるい仕事ぶりも……ある意味、生徒達に支持されている。

どの生徒にも分け隔てなく接し、ときには悩みのある生徒の相談にものってあげていた。


生徒の目から見れば、いい教師と言えなくもない。

しかし……上司の目から見ると、最悪の部下であることもまた事実だった。
 

何はともあれ、言いたいことを喋り尽くした教頭は説教を終えようとする。


「とにかく、これからは奇行は謹んで……」

 その時だった。

 紗百合の研ぎ澄まされた感覚はそれをとらえた。
 

禍々しい気配。

人外の者が放つ、独特の波動。

 
これは、霊獣の気配だ。
 

近い。

この学校のどこかだろう。
 

教頭の説教など瞬時に忘れて身を翻し、例の如く走り去っていった。

途中で、邪魔な机をバク転で飛び越すおまけつきだった。


「……………」

綾瀬紗百合が人並みの信用を得るのは……まだまだ先のようである。





 一方その頃、四階の教室では四人プラス一人の謎の「作戦会議」が行われていた。


司会役の一人を除いて、全員椅子に腰掛けている。

ミステリー捜査部の活動は、不審事件と怪奇現象の捜査と解明。

当然、議題もそれにまつわるものだった。


 話によると、高校生たちは部を創設した当時の初期メンバーらしい。

 高校になってからメンバーに加わった、一人を除いて。


 この場のプラス一、早人はすみっこに引っ込みながら、渋々参加していた。

とはいっても……発言する機会も、気力も無いに等しい。


「諸君、清音川沿いにある廃工場は知っているな? 近頃、あそこにまつわる心霊現象めいた噂が、数多く囁かれている。ほとんどが、聞くに値しないようなデマくさい話だが……やはり、一見の価値はあるかと思う」

 司会は服部が務めていた。


彼は一応ミステリー捜査部の部長であり、部の創設者でもある。

根っからの仕切り屋で、よく言えば行動的、悪く言えば強引な性格の人物だった。


今もすっかり司会になりきって、大真面目に語っている。
 
ちなみに、清音川とは天城市の東端を流れる河川で、となり町との境界線の役目を果たしている。


そこに存在する廃工場のことは、早人も一応知っていた。


「そこでだ……今夜、そこを調査しようと思う! 午後十時に、現地集合ってことで……」

 意見というより、命令に近い勢いで服部は言った。


「こ、今夜っスか……」

 難色を示したのは、眼鏡の少年――水城だった。


鼻に乗る銀縁眼鏡と、明るい茶の髪が特徴的だ。

性格はおとなしく……ひかえめで、物腰も柔らかい。
 

服部は、脅迫めいた眼を水城に向けた。


「んん〜? なんだね水城くん、なにか……不服でも?」

 口ごたえは許さん、と言いたげな威圧感タップリの口調だった。


水城は、それに圧されてひかえめに答える。


「いや、不服っていうか……ちょっと、話が急すぎじゃないスか? その噂自体、どれも露骨にインチキくさいし……」

「なんだよ優也、ひょっとして……ビビってる?」

 小柄な少年、馬宮が口を出した。


背丈は早人より少し高い程度で、高校生というより中学生に近い容貌をしている。

陽気で口数の多い、ムードメーカーだった。


「ビビってるとかそうゆうのじゃなくてさ……ほら、やはりろくな下調べもせずに、行動を起こすのは危険かと……」

「やっぱビビってんじゃん」

 反論を試みようとする水城を、馬宮は笑顔で一蹴した。


「いいんじゃない? 最近、全然活動っぽいことしてなかったし……どーせ、みんなヒマだろ?」

 乗り気な様子で斉藤が言った。


クセのある黒髪の少年で、四人の中では最も背が高い。

落ち着いた佇まいと、のんびりした性格の持ち主だった。
 

以上のような面子、及び雰囲気で会議は進んでいった。

とはいえ内容は会議というには程遠く、仲良しグループのお喋りの場に近い。


一人浮いた存在である早人は、所在なげに視線を彷徨わせていた。
 
すると、ふいに服部が何かを期待する眼差しを向けてきた。


早人の背筋に悪寒が走る。


「そうだ、朝倉くんも参加しないか? 世代を超えた、初の合同捜査だ! そこで俺たちが捜査の基本と心得について、分かり易くかつ丁寧に……」

「い、いいです! いいです! 遠慮しときます!! き、今日はちょっと用事があるので!!」

 身の危険を感じた早人は、超スピードで首を横に振った。





 霊獣は、大きく二種類に分けられる。


一つは素体の体を借りて、人間社会に潜む標準型。

全体で見れば、こちらが大多数だ。


もう一つは、素体を放り捨てて気ままに動く自立行動型。

朝倉家を襲った二体がいい例だ。


 学校に出現した霊獣は後者だった。

しかも知能にかなり問題があったようで、白昼堂々屋上に居座って獲物を物色していた。
 

しかし、霊獣の一体如き紗百合の敵ではない。

駆けつけた彼女は、一分とかからず敵を瞬殺した。


恐ろしく慣れた、鮮やかな手並み。

しかし一方でそれは、彼女の心に空虚な影を落とした。

 
自分に始末できるのは、末端の雑魚だけ。


それも、いくら倒しても生産され続けるだけの連中だ。

本当に倒すべき敵は一向に姿を現さず、捜す手立てもない。

 
今朝早人にああは言ったものの、一刻も早くニブルへイムを崩壊させたいのが彼女の本心だった。
 
停滞を続ける状況に、気丈な彼女も流石にまいりまじめていた。


秋の訪れを感じさせる涼やかな微風が、長い黒髪をなびかせる。

グラウンドに視線を向けると、彼女の愛する教え子たちが笑顔で部活に励んでいた。
 
慈しむような眼差しのまま、軽く息を吐く。


 しかし幸か不幸か、その停滞にも終わりのときが来た。





 静かに佇む紗百合を見下ろす位置。


屋上に備えられた給水タンクの裏に、その者はいた。

物陰に潜み、一部始終を見物していたのだ。

 
戦闘の気配を察知して来てみれば、まさか霊獣狩りの片割れがあの女だったとは。

さしもの彼も、この事実には少々面食らった。
 
だが同時に、巡り合えた幸運を喜んだ。


放課後の屋上。

決して暗殺に適した場所とは言い難い。


人目につくような場所で「力」を使うのは避けたいところだ。

だが、ここで奴を消せるのなら、それも是としよう。
 

懐に手を伸ばす。

手馴れた動作で、一つの物体をとりだした。

 
全体を紫色に塗られた、金属の塊。

一本の巨大な角をもつ軍馬が彫られた、精巧な彫刻だった。


傍目にはただのガラクタにしか見えないだろう、ちっぽけなもの。

だがこれこそが、彼の権威の象徴であり、力の源だ。

 
思念を集中し、自らの魔器……「アーティファクト」を発動させる。
 

主の命を受け、紫の金属が変異を始めた。

瞬時に膨張し、湾曲し、変形する。

それは命あるものの如く、脈動感に溢れた変異。

 瞬く間に、紫色の弓が顕現された。


男……“モノケロス”の称号を持つ者のみが使うことを許された、この世にただ一つの武具。

 
笑みを浮かべながら、弦を引き絞る。

冷徹な眼で、矢から指を放す。
 

標的めがけて、紫色の矢が飛翔した。





 突然の出来事だった。


 何の前触れもなく、天井を貫通して何かが教室の床に突き刺さったのだ。

全員の視線が、突き刺さった物体に集中する。


それは、紫の金属で作られた矢だった。

間髪入れず、続けざまに矢が天井を貫く。


突然の事態に、部屋にいた早人たち五人は混乱した。


「うわあぁぁぁーー!!」

「な、なんだよこれ!?」

 先程までの和やかな雰囲気は消滅し、室内に悲鳴の渦が巻き起こった。

誰もが我を忘れて逃げ惑う。

 



それは正体を隠す男も例外でなく、密かに奥歯を噛み締めた。
 
この場で唯一、彼はこの状況を把握できる。


彼の知る中で、こんな飛び道具を使うのは一人しかいない。


(これは……モノケロスの野郎か……!!)

 自分がここにいるなどとは、夢にも思わず乱射しているのだろう。

白昼堂々、アーティファクトを発動させるとは……いったいどういうことなのか?


そこまでは把握できないが……何にせよ、迷惑極まりない事態だ。
 
彼の実力ならば、モノケロスの矢を避けることも造作もない。


だが、人前で常人離れした力を見せるのは、できれば避けたかった。





 一方早人は最初取り乱したものの、比較的早く落ち着きを取り戻し、自分の成すべきことに専念した。

 錯乱する周囲とは対照的に、二本の足でしっかりと立ち、鋭く天井を見据える。

 
今こそ、この眼の「力」を使う時だ。

 
心の奥底で、強く念じる。

四日前の、あの日のように。





 魔眼・「刻星眼」発動。





 双眸に白銀の光が灯った。

漆黒の眼の奥に、渦巻く銀河が顕現する。

 



その瞬間を、男だけが目撃していた。

さしもの彼も、一瞬驚愕に眼を見開く。



 

「力」を解放した早人の眼は、多くのことを見通すことができる。


天井の裏から襲いくる矢の姿が見える。

その速度も、常人の肉眼よりはるかにゆっくりと見ることができた。

 
優れた透視と動体視力。

刻星眼の力の一部だ。

 
早人はまず、少年の一人に迫り来る矢を察知し、彼を横から突き飛ばすことで助けた。

鋭利な矢じりが、かわりに早人の頬を裂く。


それから今度は自分の眼を貫かんとする矢を察知し、矢が眼球を貫く寸前に柄を掴んで止めた。
 
降り注ぐ矢の雨は、そこで終わった。

 
あとには、腰を抜かして這い蹲る三人の少年と……矢を掴んだまま、呼吸荒く立ち尽くしている早人。


そして……それを鋭く見据える男が残された。





 狙いを定めて撃った最後の一発も、標的は軽やかに回避した。


 流石に、上層部に敵視されるだけはある。

自分の矢だけでは簡単にとらえることは出来ないだろう。


それに先程の闘いぶりを見たところ、奴もアーティファクトか、それに類似したものを使うようだ。
 
植物を操る能力……未だ全貌は見えない。


少々やっかいそうだ。

 
以上の考察から、モノケロスは一時撤退することを決めた。

まだ相手は自分の顔を見ていない。


対してこちらは顔と能力を知ることができた。

仕留める機会はいくらでもある。
 

即座に身を翻し、疾風のごとく去っていった。




 
残された紗百合は、無人の給水タンクを見据える。

 
どうやら逃げられてしまったようだ。

しかもさっきは攻撃をかわすのに精一杯で、顔を見損ねてしまった。

非常にまずい事態だ。
 

荒れ果てた床に眼を移す。

矢は全て床を貫通し、穴を穿っていた。

 
この貫通力。

同じ飛び道具でも、自分の木の葉手裏剣などとは比較にならない。

 
そして、一瞬でこれだけの数を打ち込む連射性。
 
……明らかに、霊獣にできる芸当ではない。


おそらく、ゾルダート・クラスの誰かだろう。
 
紗百合の右腕の裾は破れていた。


赤く滲んだ肉が見える。

袖の下から零れた滴が、地面に赤い円を描いた。


 思っていたより、闘いは近いようだ。





 教室は半壊状態だった。


天井には幾つもの穴があき、床にはほぼ同数の矢が打ち込まれ、机や椅子をはじめ窓や掃除用具入れまでも破壊されている。

騒ぎを聞きつけた、生徒やら教師やらが押し寄せてくる音が聞こえてきた。


「ぜ、全員無事かい?」

 呼吸を乱しながら、心配げに水城が言った。


「な、なんとかな……」

 ひどく疲れきった様子で馬宮が返した。

彼の言うとおり、かすり傷を負った者はいても重症者はいない。


「た、助かったのか……俺ら……」

 床に両手をついた格好で斉藤が言った。

その顔には、安堵と狼狽が浮かんでいる。


一方服部は、感嘆のまじりの様子で早人に問うた。


「しかし……お前、よくそんなもん掴めたな。」

 細く小さな手には、紫色の矢が握られたままだった。

早人はあわてて矢を放り捨て、笑ってごまかす。


「ハハハ……まぐれですよ! 必死だったから、よく憶えてないし……」





(フン、よく言うぜ……)


 狼狽を装った仮面の下で、男は内心皮肉った。

 さっきのあの眼……間違いない。


“刻星眼”だ。


 下界に持ち去られたとは聞いたが、まさかこんな子供に埋め込まれていたとは……
 
流石に、どんな事情なのかは推測できない。


だが……事情など、自分にとってはどうでもいいことだ。
 
肝心なのは、それが自らに利益をもたらすか、否か。


 朝倉早人……どうやらこいつとは、とことん腐れ縁らしい。


“コルブス”の称号を持つ男は、人知れず微笑んだ。





「さっきは、随分と派手な真似をしてくれたな……俺まで殺す気か?」

 コルブスは携帯電話でモノケロスに連絡した。


まず開口一番、さっきの事件の文句を言う。
 
それから、先に自らが得た情報を伝えた。


魔眼はやはり下界に持ち出されており、理由は不明だが朝倉早人という少年に埋め込まれていることを簡潔に告げた。
 
次に、モノケロスが先程の事件の事情を述べた。


“霊獣狩り”の一人が中学校教師、綾瀬紗百合という女であると伝える。

 
その名を聞いたコルブスはわずかに眼の色を変え、容貌を尋ねた。


モノケロスは簡潔に説明する。
 
すると、コルブスの予感は確信に変わった。


薄い笑みを浮かべる。


「なるほど……あの女がねぇ……」

 一人納得したように呟く同胞に、モノケロスは疑念を感じる。


「知り合いか?」

「知り合い……って程の仲でもないさ。ちょっとした縁でね、多分向こうは俺を知らないだろうが……俺は、彼女を少し知っている」

 コルブスは、それ以上語ろうとはしなかった。

かわりに、さらなる情報を伝える。


「そうそう、あの女が霊獣狩りなら魔眼のガキとは十中八九コンビだ。ガキは、女のとこに居候してるらしいからな」

 モノケロスは一瞬意外そうに沈黙したが、すぐに笑みを浮かべた。


「なるほど、話が早いな……二人にも連絡しておこう。今夜にでも襲撃をかけるぞ」

 上機嫌な声だった。

久々の戦闘と手柄を前にして昂っているのだろう。


それを内心で見抜きながら、コルブスは冷静に対応した。


「待てよ、確かにガキをバラすのは簡単だが……女の方は少々やっかいだぜ。霊獣どもを何匹も倒してきた手錬だ。容易く殺れる相手じゃない」

「くだらん……サシの勝負ならいざ知らず、こちらはお前を除いても三人だ。女一人に遅れをとるとでも?」

 興をそがれたようで、モノケロスは露骨に不快の意を示した。


コルブスは宥めるように言う。


「そうは言ってないさ……ただ、労せず勝てるに越したことはないだろ?」

 モノケロスは暫し黙考した後、訝しげに尋ねた。


「お前に、何か策があるとでも?」

 コルブスの顔に不敵な笑みが浮かんだ。


「まあ任せとけよ。最高の舞台を用意してやる」





 夕刻、早人は紗百合より一足早く家路についた。


 先刻の事件は、学校中で大騒ぎとなった。

早人を含む五人は周囲からさんざん状況説明を求められたが、誰一人としてまともに答えられるものはいなかった。

 
高校生たちはかなり動揺していたものの、やがて落ち着きを取り戻した。

しかし……あんな目にあったものの、今夜の廃工場調査はかまわず実行するらしい。
 

勿論、早人は参加する気などない。


今日は、もうゆっくり眠りたかった。
 
階段を上がり、通路を歩く。


つきあたりに位置する「綾瀬」の表札のあるドアを開けようとした。
 
そしてその直後、衝撃を受けることとなった。
 

投函口に一枚の紙切れが差し込まれていたのだ。

そこには、ワープロで書かれた短い文面があった。





はじめまして。


少々おいたが過ぎたようだな。

上層部はお前たちの抹殺を決定したよ。

分かっているだろうが、既にお前ら二人の身元は判明している。

その気になれば関係者全てを皆殺しにすることも可能だ。

嫌なら今夜十時に天城市の南東部、清音川沿いの廃工場に来い。

そこがお前らの捜していたヴァルホルの一つだ。

そこで我々と、正々堂々勝負をしよう。


ゾルダート「コルブス」






第3話 第5話

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