Stray Disonare〜一匹狼の円舞曲〜





叫び声にも聞こえる歌声。

世界を否定する言葉。

脳に直接響く旋律。

すべてを麻痺させる光子達。


人々は言葉にならない声を上げ、狂ったように盛り上がる。





火星の大スター、カイゼルのライブ会場。


デビューから、たった1年半で火星歌手のトップに立った。

新曲のダウンロードへのアクセス件数は、すでに2億を超える。





火星最大の都市「オリンポス」


太陽系最高峰オリンポス山のふもとに広がる大都市だ。

人口は1500万を越え、人類圏でもっとも栄えているとさえ言われている。

かつて、火星開拓団の宿場として始まった都市だが、ネットワーク崩壊後、火星の主要都市として開発が行われた。

しかし中心部は、未だにかつての宿場の跡がスラム街と化して残っている。

そこを中心として周囲数百メートルにわたって、高層ビルが群をなしている。


まるで、過去の遺産を隠すように……





スラム街のとあるバー。


薄暗い店内。

21世紀前半に流行ったブルースのスタンダードナンバーが流れ、それが古きよき時代を思い出させる 。

壁には、色あせた火星開拓時代の写真が何枚か飾られている。

そして、甘い香りがする店だ 。


店内に人は3人。

バーテンとその前に座るメガネの男。

そして、カウンターの奥に座る男――シグルート・マルコニーだ。


その名前から想像するような姿とはまったく違い、見た目は完全な東洋系。

無精ヒゲを生やし、しわのよった紺色のスーツをだらしなく着ている。

髪は元々短髪なのだろうが、切りそろえるでもなく好き放題に伸びている。


そのせいか、見た目から彼の歳を推測するのは難しかった。

そんなに年をとっているというわけではないが……少なくとも、その姿では若くは見えなかった。


しかし伸びた前髪の間から覗く顔つきは、まだ若そうに見える。

シグは顔を真っ赤にし、虚ろな目で薄く黄色いカクテルを口に運んでいた。


店内の空気は穏やかで、ブルースが心地よく流れていた。

時は、緩やかに流れていた……





空気がかすかに震えた。


その瞬間、シグは別人のような動きでカウンターの中に飛び込んだ。

その直後、棚のビンが割れだした。


割れたビンはガラスの破片と化し、店内に飛び散る。

中に詰められていた酒は、カウンターの中へと垂れ流れていく。

棚の各所で火花が散る。


ガラスの割れる音、壁に何かがぶつかる音が響き渡る中、かすかに風きり音が聞こえる。

かつて嫌というほど聞いた音だ。


友を奪った音。

すべてを奪う音。

……銃弾の音。


シグは、カウンターの影から店内の様子を伺いながら、おもむろに懐に手を伸ばした。

しかし、手は空を切った。


(……そういや、銃はもう捨てたんだっけな……)


舌を鳴らし、座り込むと大きく息を吐いた。


(……やれやれ、クセってのはなかなか抜けないもんだ……)


上着のポケットに手を突っ込むと、つぶれたタバコの箱を取り出した。

下に振ってみるが、何も入っていない。


「ち……しけてやがるぜ……」

適当にポケットに手を突っ込んでいると、ズボンのポケットに1本だけ残っていた。

軽くつぶれたタバコを手に取り、カウンターに置いてあったマッチを拝借する。


シグはタバコに火をつけ吸い込むと、紫煙とともに再びため息を吐き出した。





2149年。


人類は、2107年のネットワーク崩壊の打撃から復興を遂げていた。

2148年には、崩壊が原因で起こった最後の戦争――エウロパ紛争も停戦し、負の遺産の精算はほぼ終了した。

これから、人類は新たに前に進んで行く。

そんな希望が漂っている時代である。





エウロパの戦場は、悲惨な状況だった。


暗殺。

虐殺。

特攻。

裏切り。


あらゆる手段を用いた条約も何もない、ただ殺しあう戦争が続いた。

近代兵器を用いたゲームのような戦争ではない。

もっと原始的な、泥臭い戦争だった。


お互いがお互いを憎み、殺しあった。

戦争末期には、自分が何で戦っているのかを考える者などいなかった。

理由なく、ただ殺しあう。


仲間が殺されれば、またその相手を殺す。

その無限の連鎖を断ち切るまでに、数え切れない多くの命が失われていった。


シグは、そこで様々なものを手に入れ――すべてを失った。





「チッ……逃がしたか」

そんな低い声が聞こえ、足音が去っていった。

いつの間にか、銃撃は終わっていた。


シグはゆっくりカウンターから顔を出し、辺りを見回してから立ち上がった。

フィルターの手前まで吸ったタバコは、携帯灰皿に押し込んだ。


割れたボトルから流れ出した酒が気化していく、強い酒の臭いが鼻につく。

カウンターにいたバーテンは頭に銃弾をうけたのか、頭が割れ盛大に血を溢れ出しながら倒れている。

割れたガラスの破片とともに、脳しょうも辺りに飛び散っていた。


酒でできた水溜りに、どくどくと流れ出る鮮血が侵食していく。

酒の臭いと混ざりながら、濃密な血の臭いがバーに満ちていた。

シグはその臭いに眉をひそめることもなく、冷静に周囲の状況をうかがった。


カウンターにいたはずの、メガネの男の死体はなかった。

店の中をあらかた見てみたが、店内のどこにもいなかった。


あの状態から逃げたのだろうか?


シグはそのとき、癖で洞察し始めている自分に気がついた。


「……俺には関係ねえ」

もう一度辺りを見回すと、割れずに残った酒を手にカウンターに金を置いて出て行った。





夏は過ぎ、季節は秋へ向かって歩き出す。


深夜ともなると、秋が近いだけにさすがに肌寒い。

しかし、酔いをさますにはちょうどいい寒さだ。


周りをコンクリートで囲まれた通路。


シグはビルとビルの間の裏通りを、ふらふらと千鳥足で歩いていた。

等間隔に設置された街頭が、ややオレンジっぽい明かりを灯している。

上着のポケットに手を突っ込みながら、ゆっくりと歩く。


そして振り向く。


「何か用かい?」

反応はない。

闇の中を、シグの声が静かに響いていった。


「ストーカーされる心当たりはないんだがな……」

もうばれていることをシグが宣告すると、観念したように暗闇から姿を現した。


暗闇のため顔などはわからなかったが、シグは相手の手元がわずかに街頭の光で黒光りしたのを見逃さなかった。

黒い影は銃をシグに向けて牽制しているようだったが、銃を持っているというイニシアティブは時にはおごりであるということをシグは経験上よく理解していた。


銃の先が完全に自分を捉える前に、シグは溜めていた力を解き放すように低い体勢で黒い影へ向かった。

黒い影は慌てて引き金を引くが、動く標的と暗闇のため弾はシグの頬をかすっただけだ。


シグは短く1歩踏み込むと、そこから綺麗な円を描く鋭利な蹴りを繰り出した。

銃目掛けて繰り出した蹴りは見事ヒットし、銃は黒い影の手を離れて転がっていった。


銃を失った黒い影はガードを上げ、襲ってくるであろう次の攻撃に備えた……が、それは一向に来なかった。


よく見てみると、シグはその場で座り込み嘔吐していた。


「やべぇ…さすがに飲みすぎたな……」

嘔吐がおさまったとき、後頭部に冷たい感覚がした。


前にも味わったことがある……銃口の感覚だった。

シグは、おとなしく手を上げた。


とはいえ、あきらめたわけではなく常に隙をうかがっている。

そして、その顔には余裕の笑みがへばりついていた。


「お前……ソルティー・ドックか!?」

一般の男性に比べると、やや高い声だった。


「……さあねえ」

シグは素っ気なく答える。


「行方不明のエウロパの英雄が、こんなところで何をしている?」

シグの態度もものともせず、言葉を続けた。


「なんのことやら」

あいかわらず、シグはのらりくらりとした態度をしている。


「まあいい、あんたに依頼がある」

黒い影は銃を下ろした。

シグは、注意しながら黒い影の方を向いた。


メガネをかけた男だった。


先ほど、銃撃をうけたバーにいた男だ。

背は高めだが、全体的に黒っぽく古臭い格好をしている。


鼻が高く、全体的に整った顔をしている。

女はこれをハンサムというのだろう。


そして……どこかで見た事のあるような顔だった。


「これを持ってて欲しい」

そう言って、男はQDをシグに渡した。


適当にひっくり返したりして見てみるが、どこにでもあるただのQDである。

裏にも表にもラベルなどはなく、何も書いてない。


一見しただけでは、特に変わったところはないようだった。


「持っているだけでいい」

「捨てるかもしれないぜ」

シグは意地悪く笑った。


「……持っていてくれるだけでいいんだ」

メガネの男は、そう言って笑みを浮かべた。


「お前……どこかで見たことがあるような気が……」

「カイゼル」


カイゼル。

メガネの男はそう言った。


カイゼルといえば、今売れに売れている火星のスターだ。


特に音楽に興味を抱いているわけではなかったが、さすがのシグも顔くらいは見たことがあった。

確かに、そう言われると記憶の中にあるカイゼルの顔と一致した。


「悪いけど、頼んだぜ英雄さん」

そう言って、カイゼルは闇に消えていった。


ひとり残されたシグはしばらくその場でぼーっとしていたが、QDを上着の内ポケットに放り込むと再び歩きだした。


「ったく……ソルティー・ドックは、もういねえんだよ……」

すっかり酔いは冷めていた。





「行方不明だと思ってたら、いきなりお前から呼び出してきて……一体、何のようだ?」

「………」

とある通路の一角に、1台の車が止まっていた。

今は多く普及している「浮かんで走る」汎用走行型ではなく、昔ながらのタイヤで地面を走る車だ。


中には、二人の男がいた。


助手席にはシグ。

運転席には、スーツの上着を脱いだ格好の男が座っている。


シグより一回り小柄な、穏やかそうな男だ。


「……それにしても、何して暮らしてんだ?」

男は、煙草を取り出したシグにライターを差し出しながら言った。


シグの格好は、昨日とまったく変わっていない。

それは男の知るところではないが、無精ヒゲを生やし髪もボサボサな姿を見ればどういう生活をしてるのかは容易に推測できた。


シグは、顔を近づけ煙草に火をつけると一度吸い込み煙を吐く。


「オキハラ……お前が、サツなんてやってるとはな」

「くくく、エウロパ紛争も無駄ではなかってことだよ」

オキハラは、微笑しながら答える。


「あの戦争での活躍が認められてな、凶悪事件の捜査官に抜擢さ。しかも……故郷の火星でできるなんてな」

「そうか、よかったな」

そっけなく言う。


「……で、お前は何してんだよ?」

「……何もしてねえよ」

興味がないようにそっぽを向き、窓の外に向かって煙を吐き出した。

シグはタバコを吸い終わると、吸殻を携帯灰皿に入れた。


オキハラはシグの相変わらずのクセを見て笑っていたが、シグはそれには気づかなかった。


「カイゼルについて、なんか知ってるか?」

「カイゼル? そりゃ、火星の大スターじゃないか」

シグのいきなりの質問に、オキハラは疑問を持つことなく対応する。

シグが唐突なのは、昔から慣れている。


オキハラはシグの真剣な顔を見ると今までの笑顔を消し、辺りを1度見回すと再び口を開いた。



「ちょっと……カイゼルについて噂が流れてる」





ドラックのように病み付きになる旋律。

何もかも忘れられる雰囲気。

スポットライトに照らされる、華やかなステージ。


会場に集まった10万の人々は、たった一人の男に集中している。

10万の魂すべてが震え、すべての魂が混ざり合う。


オリンポスの都心で行われたカイゼルの大ライブ。

会場に入れなかったファンたちも、会場の外で少しでも雰囲気を味わおうと押し寄せる。


その熱気は、肌寒い火星の夜を蒸発させる。


狂ったように盛り上がるファンたちの中、静かに人ごみを掻き分け、前に進む男がいた。

ゆっくり、ゆっくりと。


その男は、カイゼルのいる舞台へ向かって行った。





静まり返った街。


かつて開拓団達の熱気で活気づいた街も、時代とともにすでに忘れ去られている。

設置してある電灯もまばらにしかついてなく、かつての大通りも薄暗い。


この街を照らすのは月ではなく、周りの大高層ビル街の明かりだ。

ビルの窓には月が空にそびえ立つように写っていた。


シグは一人、その街をポケットに手を突っ込みながら歩いて行く。

かつての開拓団……出稼ぎの男たちが暮らした宿舎が立ち並ぶ。


その建物のうちの一つの前で立ち止まった。


21世紀前半に作られた、無機質なデザインのマンションだ。

耐久性はあるようで、あまり壊れてはいない。


その一部屋だけ、明かりがついていた。


シグはその部屋の場所を記憶すると、マンション内に入る。

中に入ると勝手に電気がつく、システム自体はまだ生きてるようだ。


大きなフロアの中心にあるエレベーターに近づきボタンを押すが、反応しない。

よく見ると、ランプはついていなかった。


「チ、階段かよ」

階段を上り、6階にたどり着く。

ビル街を抜けてきた、火星の生暖かい風が吹いている。


肌寒い夜にはちょうどいい風だ。


ドアの前までいきチャイムを鳴らすが、音がしない。

どうやらそれも壊れているようだ。


しかたなく、ノックをしてみる。

しばらく待ってみるが……反応はない。





『噂?』

『ああ、カイゼルはもう死んでるって話だ』

『……死んでる? だが確か、明日もライブがあるはずだ』

『二十一世紀流行ったバーチャルに、クローンだとかアンドロイドとか……人を騙す方法は色々あるさ』

『………』

『今の時代……人なんざいなくても、スターは作れるんだ』





何度ノックしても、反応はない。


ノブを握ってみるとロックはかかっていない。

無用心だと思ったが、よく見るとカギが壊れていた。


この建物のセキュリティー自体が死んでいるのだろう。

ためしに、豪勢にも取り付けられている指紋センサーに指を触れさせる。


案の定、部屋の持ち主と指紋が違っているのにもかかわらず反応しなかった。

特に警戒することもなく、シグは部屋に入った。





何でもない部屋だった。

一般的な1LDKのマンションの部屋。


しかし、そこは一人暮らしの男の暮らしぶりがよくわかるような部屋だった。


洗剤の量から乾燥まで全自動の洗濯機が設置されていたが、しばらく使用されていないようだった。

おそらく、部屋の隅に積んである衣服はたまった洗濯物なのだろう。


据えつけられたキッチンのゴミ箱には、加工食品のパックの残骸が溢れていた。

野菜の切りくずなどの生ゴミは一切存在しない。

カップメンなどのレトルト食品をメインとした食生活のようだ。

棚には、カップメンが何個も置かれている。


シグはリビングのテーブルに視線を移した。

そこだけは散らかった部屋の中で、唯一綺麗に片付けられていた。


電灯をつけようとしたが、電源が死んでいるのを思い出してあきらめる。

近付いて見てみると、テーブルの上には使い古されたギターと一丁の拳銃が置いてあった。





『――だとしたら、カイゼルは生きてるってことか? 逃げ出して、それで追われてる……』

『ああ、そうかもな』

『とんだ、大スターだな。火星の人間騙して金を取ってるなんてよ』

『騙しちゃいねえよ……英雄(スター)なんざ、いつの時代にも存在しないんだ』





「ベレッタM92か……」

シグは銃を手に取った。


二十世紀に合衆国が生み出した拳銃だ。

一世紀以上たった今でも、充分現役で活躍できる代物だ。


エウロパの大戦では、古参の英雄として多くの仲間に愛用されていた。


「古い銃を使いやがって……」

手入れは完璧とはいかなかったが、各部を調べるとまだ使えるようだ。

調べていると、シグは銃口のすぐ脇に何かが刻んであるのに気がついた。


「ROCKか……」





……さっきまでの熱気が、ウソのように静まり返ったライブ会場。

熱狂の中心だった舞台へ放射状に伸びる通路の1部に、紺色の染みがついていた。


シグはそこに立っていた。

その染みに手を触れる。

その染みは、ステージに向かって伸びていた。


何人かの足音が近づいてくる。

シグは、近くのイスの影に身を隠した。


何の合図もなく、聞きなれた風きり音が響いた。

ドアが撃ち破られ、次々とイスが打ち抜かれていく。


「私を呼んだのは誰だね? 出てきなさい」

硝煙の中に、男のシルエットが見えた。

シグは悟られないよう、少し顔を出して様子をうかがった。


白髪の太った男がいた。

周りには、武装した黒服の男が5人ほどいる。


「出てこないなら殺すぞ」

太った男が指図すると、黒服の男がマシンガンを構えた。


「あー、はいはい。わかったわかった、俺だよ」

シグは手を上げながら、イスの影から立ち上がった。


「お前か……薄汚い男だな、何者だ?」

「ただの野良犬だよ。あんたが、カイゼルのマネージャー……ビルトだな」

太った男は少しだけ前に出た。


「いかにも……で、お前がカイゼルの曲を持っているのか?」

「いきなり発砲してくるとは、おだやかじゃねえな」

「どちらが上の立場なのかはっきりさせるためだ。変な考えは起こすなよ」

「へいへい……」

シグは肩をすくめた。


「で、持っているのか?」

「ああ、持ってるよ」

黒服の男の構えた拳銃がピタリと自分を捉えている。


「どこで手に入れた?」

「こいつだ」

そう言って、シグはビルトに向かってQDを投げた。

少し手前に落ちて、床を転がった。


「本人からたまたま預かった……そいつの中にあるよ」

「ほう……」

ビルトは黒服の男にQDを拾わせた。


「……隠れ家も知っているそうだな?」

「旧区画のマンションにあるよ……しらみつぶしに調べればすぐに見つかる」

「おい」

ビルトが黒服に指図すると、その一人がホールを出て行った。

そして、視線をシグに向けた。


「さて、キミをどうするか……普段なら殺してしまうところだが、今日の私は機嫌がいい。相応の報酬をやろう、キミは運がいいな。いくら欲しい?」

ビルトは懐から分厚いサイフを取り出すと、札束をいくらか取り出した。


「一つ聞きたいんだがな」

「なんだ?」

ビルトは満足した顔をシグに向けた。


「なぜ、カイゼルを殺した? お前らにとっては、金の素だろ?」

それを聞くと、ビルトはいきなり笑い出した。


「ああ、殺したな。ライブ会場で不審者を処理すると見せかけてな……ははは、少し考えれば分かるだろう?」

「さあな……俺は頭が悪いんだよ」

シグはビルトに侮蔑した表情を向けた。


「くくく……カイゼルはもう必要なくなったんだよ」

「……必要なくなった?」

シグは眉をひそめた。


「曲を書かなくなったカイゼルなど、価値がないのだよ」

「反抗して、逃げ出したから、殺した……?」

「逃げたどころか、我々の邪魔までしようとしてね……」

ビルトは醜悪な笑みを浮かべた。


通路に残された紺色の染み。

カイゼルという男の最後の地だ。


「……なんで今さら、隠れ家まで知る必要がある?」

「やつの残した曲をすべて手に入れるためだ。もちろん、それも有効利用させてもらうがね……」

ビルトは大笑いした。

シグは無造作に懐に手を入れた。


「あんたが欲しいのはこれだろ?」

シグの手にはQDが握られていた。

それを見たビルトの顔から笑みが消えた。


「カイゼルの曲は、全部こっちに移してあるぜ。隠れ家には何もねえよ。あいつは、作曲の天才的な才能を持ってたんだな」

「……そうだ。あいつは、ただ歌を書いていればよかった。歌は別の人間にでも歌わせとけばいいんだ!」

「だから逃げたんだろうが」

「そいつを渡してもらおう!」

シグは無造作にQDを宙に放り投げた。

ビルトが足を踏み出したが、シグは懐から銃を抜いた。

銃を構え、狙いを定める。


「バカ! やめろ!!」

ビルトは黒服の男たちにシグを撃ち殺すよう命令するが、





「カイゼルの魂(うた)よ、永遠に……」





銃声が響いた。

銃声が音響効果の高いホールに響き渡る。


銃から放たれた弾丸は、QDの真ん中を打ち抜いた。

亀裂の入ったQDは床に落ちるとともに、バラバラに砕け散る。

それに一歩遅れて、黒服たちの放った弾丸がシグを襲った。


シグはすぐにイスの影に身を隠すと、弾丸の雨の中を駆けた。

無数の弾丸は、イスを打ち抜いていく。

耳障りな銃声が、ホールの中を満たしていく。


シグはイスの間から数発発砲し、イスの影へ飛び込む。

それはすべてビルトの足元に正確に着弾した。


「く、早くしろ! 殺してしまえ!!」

ビルトは顔を青ざめさせ、黒服たちに叱責を飛ばす。


その時、急に会場中の明かりがついた。


「なんだ!?」

ビルトは設置されたライトを見上げた。

黒服の男たちも虚を突かれ、動きが一瞬止まる。


銃声が立て続けに五発響いた。

そのすべてが、外れることなく黒服たちの銃に命中した。

壊れた銃は騒音をたてるのをやめ、ホールに静寂が戻ってくる。


「まあ……そう焦らず、静かに聞こうじゃないの」

会場の各箇所に設置されたスピーカーから、音が流れ始めた。


「……これは!?」

「カイゼルの曲だよ。あんたが欲しがってたな」

その歌は、静寂に包まれていたホールを満たしていく。

徐々に激しくなっていく旋律に、心を震わせられる。


「くそ……!」

「何をしようってんだ?」

気がつくと、黒服たちは全員昏倒させられていた。

ビルトが歌に気をとられていたほんの短い時間で、あの人数を苦も無く気絶させていた。


「さあ、ゆっくりと聞いてくれ」

シグは、ビルトの身体の中心に拳を叩きこんだ。

くぐもった声をあげて、ビルトは床に崩れ落ちた。


「ま、子守唄にしちゃ激しすぎるかもしれねえけどな」


その歌は魂を揺さぶるほど激しく、激しく、そして……希望に満ちた歌だった。





オリンポスアリーナ。


オリンポス山のふもとに作られた、大都市オリンポスで最大の多目的施設だ。

その巨大なメインホールの席に、二人の男が座っていた。


今日は、三人のための貸し切りだ。


「カイゼルの件は立件できないのか?」

「ああ、証拠ももみ消してやがるし、あんなに人がいたのに目撃者もいない」

オキハラとシグが、ホールの中央付近に座っていた。


ビルトは、あの後シグが呼んだオキハラに連れて行かれた。

シグに対する殺人未遂と、公共物破損の現行犯で逮捕された。


しかし、カイゼルの殺人については証拠がなく、その事件だけは立件できなかった。


「それだけ、観客があいつの曲に夢中だったってことか……皮肉なもんだな」

シグは、いつものように煙草を吸い始めようと火をつける。


「ここは禁煙だぞ」

「………」

渋い顔をしながら、火をつけたばかりのタバコを携帯灰皿に押し込んだ。


「不幸な男だな」

「そうか?」

シグは行儀悪く、足を前のイスに乗せた。


「行儀悪いぞ」

「貸し切りだ。文句は言われねえよ」

自分勝手なシグを見て、あいかわらずだと苦笑する。


「自分の曲を自分の偽者に歌われて、そいつがスターになってたんだぞ?」

「そうだな……」

シグは天井を見上げている。


「舞台の上にはあがれなかった英雄か……一度くらいは、舞台の上に立ちたかったんだろうな」

「別によかったんだよ」

「あ?」

ホールに曲が流れ始める。


それは、聞く者を魅入らせる天性の才を持った者のみが書ける旋律。

その脳に直接響く旋律を、もう書ける者はいない。


「あいつが、俺にQDを渡した理由がなんとなくわかったんだよ」

シグは曲に耳を傾ける。


「あいつは、俺にビルトを止めて欲しいわけじゃなかった。あいつも偽者のライブを止めなかった……銃は隠れ家に置いたままだったからな。QDを渡す相手は、別に誰でもよかったんだ」

ホールに響く旋律は、うねるようにホール中を駆け巡る。


「あいつは結局は、ただ自分の曲を聞いてもらいたかっただけなんだよ」

「それでも……」

シグはひとさし指を唇に当てた。


二人しかいないライブの会場を、カイゼルの歌だけが満ちていく。

歌にすべてを捧げた男の魂の曲。


「歌は、静かに聴くもんだ」






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